明治生命館。
さて、超弾丸弘前城ツアーから戻ってきて、
やってきたのは・・・東京・丸の内。
あの大震災で大きな被害があった
宮城・松島の牡蠣を救おう・・というイベントが
あるからなんですね。
弘前からとんぼ返りだったのですが、
なかなかこういう機会もせっかくないわけで・・
家に帰らず、馳せ参じた次第。
やっぱりね、松島に足を運んで、
牡蠣料理のお店でお昼を食べたことが、
自分の中で大きかったかな・・・参加を決めたの。
あの人たちがちゃんと牡蠣で、商売していけるように、
なってほしいと思ったもの。
それに、何かお手伝いできそうかなって。
会場のGrand Central Oyster Barは、
丸の内MY PLAZAの中、明治生命館 B1F。
奥に見えるのが、明治生命館。
これを覆うようにして、MY PLAZA 建ってるんですね。
明治生命館は、1934年(昭和9年)に竣工。
以後、戦時中の金属接収に東京大空襲、
戦後はGHQの建物接収され、GHQの諮問機関である
対日理事会場として使用されるなど、
数々の戦中戦後の激動の場となった建物。
もちろん、重要文化財。
始まる時間までには相当余裕があったんで、
洋館好きとしてはもちろん見学。しかも無料。
しかし、こういった重文の地下で、
現役のお店が営業してるのって、なんだかいいよなぁ。
入ってすぐは、ラウンジ。
これだけでもわぁ・・とため息が漏れます。
読書をされている方もいらっしゃいましたし、
ゆっくり寛げるスペースになってて。
おそらく、飲み食いはNGだと思いますが、
休憩スペースとしては、ものすごいよい空間。
エスカレータで2Fに上がって見学開始。
エスカレータのボタンにグッとくるんだな、これが(笑)
2Fから階下の店頭営業室を見る。
明治安田生命の「丸の内お客さまご相談センター」として、
営業しているんですね。すごい空間。
天井の意匠も凝ってますなぁ・・・
なんでも、建築に関わった中に、
あの東京藝術大学構内にある城郭風の建物、
正木記念館を設計した金澤庸治もいるんですね。
建設を請け負ったのは、竹中工務店。
元は尾張の宮大工だったそうですが、明治維新後は
洋風建築も手がけ、この明治生命館の建築は、
社運をかけたビッグプロジェクトだったそうです。
会議室。
ここが対日理事会の会場になったんでしょうね?
無数の穴・・戦時は金属を拠出させられた、
ということですから、元は何か金属製の装飾が
あったのかもしれませんね。
明かりひとつとっても、ついカメラを。
金属製ですから、戦後に再度つくられたのかな?
食堂控え室。おそらく一階が調理場で、
料理を運ぶための、エレベータなんでしょう。
今でも、たまに置いてある飲食店ありますよね?
4階まで・・・全部この下と上のあたりは、
食事に関するエリアだったってことか。
食堂。会議室と比べ、バックに暖炉があったり、
少し緊張が解けそうな、でもピシッとした、
そんな雰囲気の食堂。どんな会話が食事の際に、
されたんだろうかねぇ・・・
壁の装飾も食堂ということで、
ぶどうの絵が彫られてありましたよ。
執務室。どういった立場の方が、
ここにいたのか分かりませんが、なんとなく、
市長室というか、取締役室というか、
そんな雰囲気を感じます。
時計。ローマ数字の時計は、
どこかレトロな雰囲気を出しつつも、
なんだか締まりますよね。
執務室を出たところには、応接室。
こちらにも、暖炉があります。
さて、1Fに降ります。
先ほど見えた営業スペース。
上を眺めると、ちょっとどこかの
宮殿のようにさえ見えます。
市松模様にも見える床は、アンモナイトの化石を
含んだ大理石。化石を含むとは・・。
すごい発想だ。イタリア北部産。
模型。明治生命館を覆うように、
MY PLAZAが建っているため、全体像が
見えにくいのはちょっと残念。
ラウンジの奥。
普段は何かに使われているのかな?
うん、明治生命館を堪能できました。
前々から行こうとは思っていたんだけど、
なかなか機会がなくってね。よかった。
さ、そろそろ牡蠣を頂きに参りますよ。
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