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桜に包まれた会津へ・・・その4。

さて、前回行けなかった興徳寺。

歴史好きにはさほど・・なところかもしれませんが、
歴史上の有名人のお墓を訪ねる「墓マイラー」
という人がいるくらいですからね・・・
わたしも戦国好きとしては、押さえておきたいところ。

質素ですが、門扉には会津松平家の家紋。

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興徳寺は、戊辰戦争の戦火で焼失したそうだが、
700年前にも遡る歴史ある寺にも関わらず、
寺の建物が残念すぎるが・・・

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少し進むと「蒲生氏郷公墳墓之地」とあります。

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武士の墓は得てして質素なものですが、
実はその昔には、御霊屋があったそうな・・・
もちろん、戊辰戦争の兵火で焼失したそう。
当時の霊屋の手がかりになる資料とかはないのかな。

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五輪塔に、上から「空」「風」「火」「水」「地」。
仏教の「五大」思想を表現したもの。

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遺体は京都・大徳寺黄梅院に葬られたが、
会津の地には、遺髪が残されたとか。

氏郷辞世の句。

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限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心みじかき 春の山風

40歳という若さで亡くなった氏郷。
信長に、そして秀吉にその才を認められた名将。
利休七哲の筆頭に数えられる茶道の達人でもあり、
和歌にも通じる風流人。

まだまだこれから・・というときにという、
悔しさのにじみ出る辞世の句。

戦国から安土桃山にかけて、築城の名人というと、
加藤清正や藤堂高虎の名前が上がりますが、
実は、蒲生氏郷もなかなかの腕の持ち主。

穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる
石垣職人を雇い、あの安土城築城にも参画した
と伝わっています。

この氏郷、長生きをしていれば、
後の歴史を大きく変えたのでは、という気が。

関ヶ原がどうなったか、家康が易々と幕府を
開けたのかどうか。あと10年、いやあと5年
長生きしたらどうか。実に「If」を想像したくなる
武将なんですよね・・・

さてそんな歴史の「If」を妄想しつつ、
いろいろと写真も。

もこもこした苔。マリモみたい。

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ふふ、うまい具合に花びらが並んでる( *^艸^)

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散った花びらって・・・
どうして写欲をそそるんでしょうねぇ。

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さて、このあとは近くにある小澤蝋燭店。
前回は夜だったので行けなかったので、
覗いてみることにしました。

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もちろん、会津といえば絵ろうそく。
これを見に行ったのではあるんですが・・・
るるぷぅさんの記事で、気になったアレも見たくて。

アレ?

そう、アレ。

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ウイスキー型ろうそく(笑)
ね、これほしくない?

ビールもあるよ。

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全然会津と関係ないカメヤマローソクの
故人の好物シリーズ」で、亡くなった方に
生前好きだったモノのカタチをした
ろうそくを供えよう、というもの。

これさ、仏壇用具のカテゴリだから、
知らなかったんだよなぁ・・・これって、
けっこう汎用性あると思うぜ?

これでウイスキーの香りなんかしちゃったら、
もう、大変。昔のキャンドル熱が復活しちゃうかも!

・・と、これじゃ何のために会津で
わざわざろうそくを買ったのか分かりませんので、
絵ろうそくも。小さめのを頂きました。

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紅葉の頃まで大事にしまっておき、
秋の夜長をろうそくの明かりで、
自宅飲みタイムを愉しみたいと思います。

・・・会津だけで超大作になってしまいました(苦笑)
次回で、会津編終了です。

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