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Whisky LIVE! Tokyo 2011 ニッカセミナー編 ~ 学び ~

さて・・・続いては、セミナー編でありんす。
もちろん、ニッカは外しませんよ。

日本にウイスキーづくりを伝えた男、
竹鶴政孝のチャレンジ、はじまりはじまり!

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講師は、おなじみの久光哲司・チーフブレンダー。

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まず、はじめにハイボールで乾杯!
もちろん・・・竹鶴ハイボールさまです。

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そうだよね、そうだよね、
そうでなくっちゃね!かーんぱーい^^)/d□

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あちこちから、ハァ~(´・`)という、
ンマイなぁ・・というため息が漏れてくるのがいいですね!

今回のティスティングは・・・

・シングルモルト余市1990
・シングルモルト宮城峡1990
・シングルカフェモルト1994
・竹鶴21年

というラインアップ。

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特にね、シングルカフェモルト1994!
これ、一切市販してないんですよね。

かつて、シングルカフェモルト12年が、
ネット限定で売り出されましたが、
こちらはシングルカスクだったようで・・貴重。

ま、適宜ティスティングタイムがありますので、
それまでは、じっと我慢の子(笑)

さて、日本経済新聞の連載コラムの話から、
竹鶴政孝の話はスタートします。

「わたしの履歴書」という、著名人が
自らの半生を振り返る連載なのだそうですが、
竹鶴政孝は、こう振り返っているそうです。

・・・ウイスキー一筋に生きてきた。
その意味では、一行でかたづく男である。

そんなひたむきにウイスキーを求め続けた
政孝を「学び・恋愛・仕事・遊び」の4つの観点で
紹介する、という内容。

■学び

政孝が、摂津酒造社長・阿部喜兵衛の命を受け
単身スコットランドに渡ったのが、1918年(大正7年)。

誰一人外国人はおらず、ひとり学ぶ政孝。
一冊の洋書には、愚痴のようなものが残されています。

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進まぬウイスキーづくりの研修。
辛くて何度も枕を涙で濡らしたといいます。

実家の母から、志半ばで日本に帰るとは何事ですか、
スコットランドに帰りなさい、と諭される夢を
見ることもあったそうです。

政孝の生家・広島県竹原市にある竹鶴酒造。

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ここで、製塩業・酒造業を営む竹鶴敬次郎の三男として、
この世に生を受けたわけですが、その父・竹鶴敬次郎は、
酒造りには厳格な考えを持っていたそうで、

「酒はつくる人の心が移るものだ」

と常々、政孝に話していたそうです。
この考え方は、後のウイスキーへのひたむきさにも
つながっていくのでしょう。

酒造業には興味があった政孝は、大阪高等工業学校
(後の大阪大学工学部)醸造科に入学。
この大学時代に、洋酒に興味を抱きます。

やりたいことをやる、思ったら即行動!の政孝。
なんと、卒業を待たずして、
当時、洋酒のトップメーカーだった摂津酒造に
押しかけ、何とか採用してくれと頼み込んだのだそう。

その当時から、熱い漢だったわけです。
自ら後年を振り返って、青田買いならぬ、
「押しかけ青田売り」だったと呼んでいます(笑)

その熱いハートは入社しても変わらず、
先輩に煙たがられるほど、質問しまくり、
どんどんと知識を吸収。

いつしかその熱意とものづくりに対する
真摯な姿勢が、摂津酒造の阿部社長や
取引先の壽屋、後のサントリーの鳥井信治郎社長
の目にも留まり、信頼を勝ち取っていきます。

当時、摂津酒造は、壽屋(後のサントリー)が
販売する赤玉ポートワインの製造元だったんですね。

ウイスキーは、原酒は含まれていない、
イミテーションウイスキーしかない時代に、
ホンモノのウイスキーを造ろうということで、
阿部社長は、政孝をスコットランドに派遣することを決定。

造り酒屋を継いで欲しいという両親の希望も
あったそうですが、生涯ブレることのない信念、

 日本人に本物のウイスキーを飲んでもらいたい。

という気持ちが上回り、1918年にスコットランドへ。

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当時のパスポート。ずいぶん違います。
今のように、いろんな国々に多くの人が
行き交う時代ではないですから、貴重なもの・・
だったんでしょうねぇ。

当然、飛行機はありませんから船。
しかも、アメリカ経由でスコットランドに向かいます。
桑港(サンフランシスコ)行き天洋丸に。

スコットランドでツテのない政孝。
まずは、グラスゴー大学の聴講生として学ぶ日々。

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教授もいろいろと製造現場で学べるところを
探してくれるのですが、見つからず。

当時ウイスキーづくりにかけては随一と言われた
Joseph A. Nettleton博士を自ら訪ねるも、
高額の授業料を前に諦めます。

それでも、Nettleton博士の著書は、
スコットランドでの勉強の基礎になるものに
なったようですね・・

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そのあと、スコットランドに来て9ヶ月経った
ある日、ロングモーン蒸留所の1週間の体験実習を
取り付けることに成功したのでした。

ロングモーン蒸留所。
上が1919年、下が2009年の写真。

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次のボーネス蒸留所では、連続式蒸留器の
3週間の実習。

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朝から晩まで、隅から隅を回り、
技師たちに質問していくのですが、
鼓膜を破るような歯車の音に遮られ、
訛が激しく聞き取りにくい英語に苦労。

技師たちがいる前でスケッチもできず、
宿に帰って覚え書きをしていたとか・・・

最後の仕上げは、グラスゴー大学のツテで、
紹介してもらった、ヘーゼルバーン蒸留所。

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かの有名な、「竹鶴ノート」は、
このヘーゼルバーン蒸留所での実習の記録なんですね。

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よく複製品を見る機会があるのですが、
実に細かく、多岐にわたったレポートなんですよね・・・

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

しかし、どうでしょう。こんな熱意を持って、
たった一人で・・・われわれが普段、
熱意と呼んでるものなど、軽く吹き飛んでしまう、
そんな思いすらします。

まずはあれこれ考えてしまうことからはじめてしまう
わたしなのですが、やはり熱意に加え、
行動力が大事だよなぁ・・と思った次第。

ここでのティスティングは、余市1990。
いわゆる余市好きの方からは、ピーティさが足りない、
とちょっと物足りない意見が多いようですが。

ピーティなだけじゃない、また余市ならではの個性を
感じられる逸品だと思うんですよね・・・

お次は、恋愛の章。
リタ夫人との出会いと別れ・・です。

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