Whisky LIVE! Tokyo 2011 ニッカセミナー編 ~ 恋愛 ~
さて・・続いては、リタ夫人のエピソード。
■恋愛
ニッカのファンであれば、リタ夫人のエピソードって
もう有名すぎるくらい有名なんですが・・・
企業が有名になれば、その創業者も有名なものですが、
創業者夫人も有名というのは、多くはないように思います。
お若い写真ですね。まだ政孝と
出会う前の写真でしょうかね。
まだ、ちょっと垢抜けない感じもしますね。
わたしの好みなどどうでもいいのですが(爆)
このリタ夫人がいちばんお美しいと思いますが・・・
グラスゴー大学に通っていた政孝が、
リタ夫人の妹に自宅に招待されたことが
出会いのきっかけになったそうです。
有名(ニッカファンの間では)なクリスマスパーティでの
クリスマス・プディングの話。
プディングの中に、コインやら何やらを入れて
出てきたものによって、いいお嫁さんになるだとか、
金持ちになるという、占いも兼ねていて・・・
政孝とリタがそれぞれコインと指貫を当てる、
というものなんですが、この風習って、
竹鶴さんのエピソードでしか知らなかったので、
そーなんだ・・・と思っていたんですけど。
サクッと調べてみると、
指輪:早く結婚できる
指貫:一生独身
えええーっ・・全然ちゃうやん(笑)
ど、どういうことなんでしょうか。
もしや、イングランドとスコットランドで、
意味が違ったりするのでしょうか??
ま、少なくともこのあとすぐ
ご結婚されているわけですからね・・
正しい情報をお持ちの方がいらっしゃれば、
ぜひ教えていただきたいところです。
もともと病弱で、学生のころも休みがちだった
リタ夫人のことを案じ、プロポーズした政孝は、
日本でのウイスキーづくりをあきらめ、
スコットランドに残ろうと思ったそうなんですね。
でも。
以前にも書きましたが日本に行くべきだ、と
強く後押ししたのは、実はリタ夫人のほうだったと。
なぜ、そこまでして日本に行く決意を
したのでしょうか。思うに、政孝その人だけでなく、
政孝が見た夢にも惚れこんだんでしょうかね。
帰国する際のお祝い会でも、緊張されてるな・・・
というのが分かります。ちょっと写真じゃ、
小さすぎてわからないでしょうけど。
しかし、帰国後すぐ、摂津酒造の経営が苦しくなり、
日本での本格ウイスキー製造は頓挫。
そして、政孝もウイスキーが造れないのなら、
ということで、摂津酒造を辞めてしまいます。
そんな中、英語教師として家計を支えます。
当時はまだまだ、男は仕事、女は家庭という日本。
それでもスコットランドでは、
夫が苦しんでいる時、妻が働くことは当たり前
と言い、イギリス人宣教師の紹介で、
帝塚山学院の教師に。ピアノや英語を教え始めます。
思ったら即行動、政孝だけではなく、
リタ夫人もまた行動の人だったのですね・・・
傷心の政孝もこれにやる気を取り戻し、
化学の教師として、働き始めることができたのです。
このほかリタ夫人は、絵も得意だったようで、
余市にあるウイスキー博物館にも、スケッチした絵が
展示されたりしていますが、その中の1枚。
絵本に出てきそうな、優しい筆遣いと
ほんわかした雰囲気が出ていますよね・・
・・・実に多芸な方。
時は過ぎ、太平洋戦争中。
その頃すでに余市の工場を開き、
余市に移り住んでいましたが、
敵国人として、スパイ扱いされるなど、
リタにとって、苦難の時代だったことでしょう。
その一端が垣間見れるエピソード。
戦後すぐの1947年、4人のアメリカ軍将校が
北海道に行くことがあり、余市にも立ち寄ったそうです。
その際、一行の中のウォルター氏が軍医で、
医薬品をもっていて、薬やビタミン剤を
政孝とリタ夫人に譲ったとのこと。
薬と引き換えにもらったという
2本のウイスキーを贈ったそうです。
そのときのリタ夫人の体調はきわめて悪く、
戦時中の心労が想像できます。
ちょうど、50年前の1961年。
リタ夫人が亡くなります。
イギリス人とリタ夫人が結婚して、
スコットランドにいたままだったなら・・・
日本に連れてきたばっかりに、
苦労に苦労を重ねる人生を
歩ませてしまったのではないか・・・
政孝は後年、そう振り返っています。
しかし、おそらく技術を身につけた
政孝だけでは、ウイスキー事業の立ち上げは
軌道に乗らなかったでしょう。
わたしの勝手な(当日の説明にはなかった)ものですが・・
孟子の一節を引用して、事業を成すにはよく、
天の時、地の利、人の和が必要だと言われます。
天の時とは、時勢・タイミング。
地の利とは、置かれた環境や立場。
人の和とは、人と人とのツナガリ、でしょう。
そして
天時不如地利。地利不如人和。
(天の時は地の利に如かず。 地の利は人の和に如かず。)
というように、何にも増して、
ツナガリがものをいいます。
ニッカの立ち上げの際の出資人を募る際にも、
帝塚山学院時代のリタ夫人の人脈が
生かされていたといいますし、
彼女の持つ誠実さや優しさ、ユーモアに
惹かれた帝塚山学院時代の女生徒も多かったそうです。
政孝とリタのツナガリが、苦しい時代を生き抜き、
事態の好転を招きこんだのでしょう。
そして、信頼が醸成された人脈が、
ある時勢と重なったとき、大きな力になって、
ウイスキー事業が立ち上がっていったわけです。
ニッカウヰスキーの創業者、
実は、竹鶴政孝と竹鶴リタの両名・・・・
と言っても、過言ではないのかもしれません。
続いて、政孝の品質に賭ける想い。
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