「忘れてくれないなら、せめて悲しまないで」
今日は、ほんとうにわたしの人生というか、
生きる上での考え方に大きな影響をもらった方の誕生日。
この世を去って5年、亡くなった事実を知って
もう4年も経とうとしているわけだけど、
あれから毎年誕生日である4/10には、
彼女のことを思い出します。
特に今年は、東北地方を襲った大地震があり、
もしまだ居ててくれたなら、今回の地震のこと、
どう思っただろうか、と考えずにはいられません。
たぶん・・たぶんですが、
阪神淡路大震災で、大きなこころの傷を負ったひとり、
だったのではないかと思います。
彼女が書いたside story。
未完に終わってしまったわけだけど、
なぜ・・・彼女がこういった話を書いたのか。
そんな野暮なこと、聞こうにも聞けるはずが
なかったわけですが。
わたしも、かの地での地震を経験したひとりですが、
幸いにもそんな大きな痛手を
被ることは、ありませんでした。
だから、あの揺れそのものを経験はしていても、
大切な人を失った悲しみや、どう生きていけばいいか
見当もつかないという絶望を、やっぱり生身の感覚として、
こころの中で受け止めたことがない。
だからこそ、この地震を契機に日本を駆け巡っている
現実にどう向き合うか、立ち向かうかということについて、
彼女のことばを聴きたいなぁ、と思うのです。
彼女は、この世の去り際に、
こんなことばを残しています。
> 残った人は辛いよね。自分のことは忘れて欲しいけれど、
> 忘れてくれないならせめて悲しまないで欲しいかな
この地震、津波で命を失われた何千、何万という方々が、
同じようにお考えになるかは、判りません。
でも、このことばを読み返すにつれ、
ちゃんと立ち直って、生きていていいんだよ、
というメッセージなのかな、というようにも思えます。
> 頭の中を ふっと右から左に通り抜けようとする「想い」
> をがっしり掴まなきゃなって思うの。
>
> チャンスの神様には前髪しかないけれど,
> 思考の神様には しっぽがあるのよ,きっと
幸いに、思考の神様にはしっぽがあるそうです。
通り抜ける前に掴んじゃうのでもなく、
通り抜けて逃がしちゃうわけでもなく。
ちゃんと想いを汲み取ろうとして、
しっかりと掴み、受け止めよう。
今日は、白州のイベントの懇親会で
同席した方々で集まって、お花見をしてきました。
その話は、また追ってするとして・・・
人間たちの想いなど知る由もなく、
今年も美しく咲いていた桜の花を捧げましょう。
こうして「知り合えるよろこび」を、
誰よりも、深く気づかせてくれたでるふぃさんに。
そういやside storyでも、
> 桜の花びらが、雪のように舞い散る。
という一節から、始まることに気づきました。
「笹野美也子」にとっての桜のように、
被災者の方々にとっても、辛い記憶を呼び戻して
しまうのかもしれない。
だけど。
とあるバーのマスター・野上和彦が、
こう語りかけます。
人間は想い出が無かったら生きて行かれへんよ。
けどな、想い出だけで生きて行くわけにはいかへんの。
(中略)
いつか時が来たら、辛いことも昇華できるよ。
人間ってそゆとこ上手いことなっとんねん。
せやのに、逆行してどないすんねん?
忘れるようにしろってゆーとんのちゃう。
自然に昇華できるようなもんを
引き戻すようなことをするのはやめゆーてるだけや
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