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2011年4月

燻製醤油で頂く卵かけごはん。

最近、特にTwitterでお世話になってる
六本木は芋洗坂にあるエルモアさんところ
Bar Answer)に行ってきました。

そう・・・卵ごはんを食べに・・・
いや、正確に言うと燻製醤油を味見に・・(笑)

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Barに醤油の味見をしにいくって、
なんだか変な感じですけど(笑)

最近、醤油にどっぷり漬かって、
マグロのヅケ、ならぬnikko81のヅケでもできそうな
昨今でありますが、醤油が燻製?なぬ?
とものすごーく気になっていたのです。

まず醤油の香りから。ものすごく燻製です。
煙い感じと香ばしさが織り合わさった香りです。

醤油からイン。その後卵。
ヤマロク醤油さんに教えていただいた方法

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なんといいますか、卵のまろやかさと甘みが
合わさって、非常にモルトが欲しくなりますよ・・・

このとき、ラガヴーリンを頂いてたんですが、
しまった、これはラフロイグのほうがいいはずっ、
と直感しました。そのくらい煙さを
ダイレクトに感じるんですよね。

燻製オリーブオイルもありますよ。
しかし、調味料も燻製できるなんて知らなかったなぁ。

P1210174

おつくりなのは、「風の仕業」という
軽井沢のお店。通販でも買えるようですねぇ。

上田で作られている本醸造醤油を燻製に。
元々の醤油も美味しいんでしょうね。

いやいや、燻製醤油ってアリですねぇ。
ウイスキーと合わせて頂くオツマミには、
この醤油が合うと思います。うん。

あと焼き物へのかけ醤油として、
使うのがいいかな~という感じですね。

憶えておこう。ちょっと、醤油がいっぱいありすぎて、
いつになったら買えるか分からないけど(笑)

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八王子でDQIIIを聴いてきたっ☆

八王子駅からすぐの「オリンパスホール八王子」の
杮落とし(かきおとしじゃないよ、こけらおとし)として、
すぎやまこういち先生を迎えて、
交響組曲「ドラゴンクエストIII そして伝説へ」が開催。

DQと言えば、断然III派であるわたし。
IIIにフォーカスしたコンサートを知って、
捨て置くわけには、いかないのであります。

・・・そして、すばらしかった。
ものすごく、すばらしかった。

新調されたオリンパスホールは、めっちゃキレイ。
着いたところで、CD販売。
基本的にプレイしたことのある作品は
持っているんだけど、弦楽四重奏金管五重奏による
アレンジヴァージョンを発見して、衝動買い(笑)
わー、CD買ったの久しぶりだわぁ。

やはり、かなり人気なのか、
気づいてチケット手配できたが、3階席の奥のほう。
もうギリギリだったんでしょうね。

今回のプログラムは、第一部・第二部の二部構成。

■第一部■
・ロトのテーマ
・まどろみのなかで
・王宮のロンド
・世界をまわる(街~ジパング~ピラミッド~村)
・ローリング・ダイス
・冒険の旅
・戦いのとき

■第二部■
・ダンジョン~塔~幽霊船
・回想
・鎮魂歌~ほこら
・海を越えて
・おおぞらをとぶ
・ゾーマの城
・戦闘のテーマ~アレフガルドにて~勇者の挑戦
・そして伝説へ

やはり、生で聴くのは違いますよね。

もう何百時間を費やしたでしょうか・・・
そのプレイした記憶が鮮明に蘇ってくるとともに、
からだが熱くなるのを感じます。

プレイしたときのことだけじゃなく、
DQにまつわるいろんな記憶も含めて・・・

ある意味、懐かしさがこみ上げてきて涙できるのは、
年を重ねてきたからこそ、味わえるのかもしれませんね。

今回、演奏を担当された東京交響楽団は、
戦後間もない1946年に創立。

すぎやま先生も、この楽団のオーケストラを
若い頃にお聴きになっていたそうで、
からだに染み渡っているとおっしゃるほどに、
ゆかりのある楽団なんですってね。

すぎやま先生は、「音楽はこころの応援団」
おっしゃっていました。

そして、自粛モードでしょぼんとする日本人を
憂いてらっしゃいました。

ぼくたちが一緒になって、支えていかないと。
どんよりしてちゃ支えられない。
音楽のチカラで、明るく元気にできれば、と。
ホントそうですよね・・・

そしてまた、DQの年齢層が広がってるんだな、
ということも改めて、その思いを強くしました。

このコンサートのタイトルにもついてるんですが、
「親子で楽しむオーケストラコンサート」なわけですよ。

わたしのように、ファミコン版から知ってる人もいれば、
ケータイアプリで初めてやったという人もいるわけで。
すごいなぁ・・・世代を超えるって。

普段は楽団のなかでも、ドラクエやったことある?
と聞いて10人くらいだそうですが、
この日の東京交響楽団の皆さんは、
半分くらいやったことあるよ!と挙手が上がり、
すぎやま先生も、うれしそうでした。

アンコールでは、

・この道わが旅
・DQ9のオープニング

を披露。

特に「この道わが旅」が印象深くって。
これは、DQIIのエンディングテーマですね。

この4月11日にお誕生日を迎えられ、
「さんじゅ」になったんですよ、とすぎやま先生。

さんじゅ?三十?んなバカな(笑)
はい、三十ではなく「傘寿」。
八十歳のお祝いを傘寿というのです。

ま、心は三十のつもりで!とおっしゃっていましたが、
これまでの作曲家人生を旅に喩えて・・ということでしょう。

どれもすばらしくて、あっという間に
時間が過ぎ去ってしまいましたよ・・・

せっかくなんで、お気に入りの演奏プログラム
のなかの曲から感想を・・・

・ロトのテーマ

これがないと始まりませんよね。
ドラゴンクエストを代表するテーマ。
これは、やったことない人でも知ってるかも。

・世界をまわる(街~ジパング~ピラミッド~村)

街の曲は、自分が旅に出て歩いているときに、
決まって頭の中でなってる曲。
わたしの歩くスピードは、この曲で決まるのです(笑)

ジパングとピラミッドは、オーケストラですが
実に日本(というか倭国)やアラブっぽさを
強く感じさせますよね。

・冒険の旅

DQIIIで一、二を争う大好きな曲。

上の世界を歩く際のフィールド曲なんですが、
前向きになれるような力強さと壮大さに溢れ、
そして父の背中を追う悲壮さすら感じさせます。

・戦いのとき

リメイク版(スーパーファミコン以降)で
使われているVSバラモス戦の曲。

DQIIIって、ファミコン版はメモリ容量が足りず、
泣く泣く音楽や画像等がカットされていて、
ファミコン版だと、一応最初はラスボスってことに、
なっていたバラモス戦が通常と曲が変わらず、
ラスボスでないことがバレバレ・・
だったのもいい思い出(笑)

「勇者の挑戦」よりも、ラスボスらしい曲ではあるかな。
泣く泣くカットされたのが実に惜しい作品。

・ほこら

ほこらのテーマって、けっこう見過ごされますが、
すごく好きなんですよね・・

寂しげではありますが、神聖でピンと空気が張り詰めた感じ。
なんだか、背筋が伸びる一曲なんです。

・海を越えて

街のテーマ同様、こちらも旅のときに、
船に乗ると自然と掛かってくる曲のひとつ。
DQIIの船のテーマも好きなので、
そっちが頭の中で掛かるときもありますけどね。

・おおぞらをとぶ

不死鳥ラーミアの背に乗って、空を舞うときの曲。
神聖な雰囲気に加えて、高いところから、
大きく世界を見下ろすような「鳥瞰」的な奥行きを感じます。

・戦闘のテーマ

戦闘のテーマ。RPGにおいて、戦闘シーンって、
一番聞く機会が多いわけで、どうしても
一番耳に残る曲なんですよね。

そんな耳の残るRPGの戦闘曲のなかでも、
かなり光る一曲です。

・勇者の挑戦

最終決戦・大魔王ゾーマとの戦闘時の音楽。
「勇者の挑戦」というタイトルからも分かるように、
魔王の恐ろしさや強大さを演出する音楽ではなく、
戦いを挑む勇者とプレイヤー自身を鼓舞してくれるような、
名曲中の名曲と言える作品ですなぁ・・・

会場を出ようとすると、なにやら長い行列が・・・
どうやらすぎやま先生と握手できるそうです。
こりゃー・・・並ばなきゃ。

ものすごい行列でしたが、比較的早く回ってきました。
まぁ、決まってこういうときには、
「すばらしいコンサートを有難うございました」
程度にしか、言えないもんなんですよね・・

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すぎやま先生には、これからも末永く
ご活躍していただきたいものです。

いやぁ、よかったなぁ。最高の時間でした。

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宮城と福島に行ってきました。

・・・東京にある宮城と福島。
そう、アンテナショップ。

いつか行きたいなー・・・と思っててですね。
でも、やっぱり品数は少ない。現地に行かないとですね。

池袋にある宮城ふるさとプラザでは、
萩の月としそ巻き。

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福島県八重洲観光交流館では、
川俣軍鶏のスモークとしそ巻。

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P1210162

ちょっと!しそ巻き買いすぎ?
宮城でも福島でも(笑)

先週のお花見でsa*naさんに買ってきていただいた
しそ巻きが美味しいんだもの~

福島のアンテナショップの帰りついでには、
東京駅で、ねんりん家の「桜の国のパウントバーム」を
買ったりして・・・

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でも、それに飽き足らず・・・
会津の黒豆。おくやの煎黒豆。

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こちらは通販でお取り寄せ。
るるぷぅさんにお勧めいただいてから、
美味しくって、なんどかリピってます(笑)

会津の帰りにも、スーパーニッカの水割りで、
呑み呑み帰ってきた
っけ。

で・・・・こんなタイトルをつけておきながら、
当日のお昼は、東京でのふるさと・西荻窪で。

MAPLE HOUSEのメープルシューをはむはむしつつ・・

P1210126

P1210128

前日に夢飯行ってるヒトがいたので、
かぶらないように(!?)、中華の八龍へ。

八龍といえば、ひき肉&ニラのピリ辛卵とじの
台湾丼。もう、今までどれだけ食べてきたことか・・

P1210129

やっこうやばいのに、食べてばっかりしてる
週末でした(汗)

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不安と決別し、豊かな想像力を。

先月末、こんな記事を書きましたが、
忍び寄るこころの闇は、残念ながらなくなるどころか、
多岐にわたって、そして醜く拡散している・・・
ように思えてなりません。

震災直後から表面化した「自粛」や「買い占め」
がようやく沈静化したと思ったら、
川崎市の被災地ゴミ処理騒動に、感情的な東電叩き。

福島から避難してきた子供に対する差別
逆に、この問題が起きた船橋等に対する逆恨み。

関係ない信金が「脱原発」を表明したりとかも・・・・

わたしには、今起こっている多くのことが、
やはり「こころの問題」だと思わずにはいられません。

これらに対して、リーズナブルな反論を
することはいくらでもできます。

例えば、ゴミ処理の問題にしても、放射性物質を帯びた
廃棄物とそうでない廃棄物をどう見極めるか、
あるいは、見極め可能なものなのか、
ハッキリさせて欲しいと求めるべきだろう、とか。

川崎市の申し出が「被災地」と言っていた点、
そして、いますぐやるというわけではなく、検討をする、
という声明だったにもかかわらず、
「いますぐ」「福島原発の」「放射能汚染ゴミ」を
川崎市で処理すると思い込み、非難が殺到する。

こんな読み違いがなぜ起こるか。
不安な状態でこの情報に接して、判断を誤ったとしか、
わたしにとっては、説明がつきません。

しかし、個別の事象がどうこうというより、
これらを共通して支配している「こころの問題」を
どうすべきか、ということに、より関心があります。

ひとつのヒントになるのが、
小田嶋 隆氏 ア・ピース・オブ・警句、
人びとがデマにもたれかかりたくなる時」の一節。

> 情報量がある臨界点を超えると、制御棒が作動して、
> 判断力が自動停止するのだ。
> と、私は短絡をはじめる。
> 具体的には、情報の真偽を確認する過程を
> 省略して、直感に頼るようになるのだ。

そう。思考ってそういうもの。
処理可能な量を超えると、自動的にストップして
しまうような気がしています。こころが壊れないように。

そして、その直感は、正しい論理に
裏づけされていなくても、知識や経験があれば、
おおよそ正しい方向に向かうのでしょうが、
知識も経験もなく、しかも不安に圧迫された状態。

例えば、暗くなってあたりがよくわからない、
初めて訪れた街で、目的地に向かえというようなもの。
さぁ、そこでデマが飛び交っていたら。

そのとき、自分が信じ「たい」情報を
掴んでしまうかもしれません。

情報は正しいから伝播するのではなく、
伝播しやすさが高いからこそ、伝播する。
情報の広がりに、正しさは全く必要ないのです。
# 「ミーム」の考え方を想起させます。

言い換えれば、人々が信じたい情報が広がる。
そして、不安という魔物に憑依されたこころは、
どんどんと情報を集めては、さらに自己を増殖させる。

自分では、より真実を知るために、
情報を集めているつもりでも、自分の不安をより
確かなものにしてしまっているのかもしれないわけです。

能天気に、大丈夫だ大丈夫だと思っていれば、
そういう情報にしか、目が行かなくなるのでしょうし、
あるいは、先般の過度の自粛についても、
共感疲労」という心理状態でどのような情報に接しても、
申し訳ないという気持ちが増幅してしまった結果、
とも考えられます。

ほぼ日刊イトイ新聞の今日のダーリン4/11版で、
イトイさんが、不安中毒こんなことを指摘しています。

>「不安」の中毒というものがあるんじゃないでしょうか。
> なにかを「不安」に感じるというのは、
> 誰にでもあるふつうのことです。
>
> しかし、「不安」が解消されないままに、
> そいつに居つかれてしまうと、
> 「不安」は、さらにそこに居座ろうとしはじめます。
>
> つまり「不安」があることでバランスをとっている。
> そういう状態になっているわけです。

反論承知で申しますが、

「この子のことを守れるのは、私しかいない。
 周りから何と言われてもいいの」

という女性のことばは、まさにその中毒性を
物語っているように思います。

さらにこれに拍車をかけているのが、情報を出す側に、
情報をどう伝えるのがいいか?というスキルが、
決定的に欠けている点。

情報を出す側も「正しい」情報を出すかどうかに拘ったり、
出すと不安になるからと隠蔽する傾向がありますし、
「『風評』に踊らされる庶民を露骨に軽蔑している」
見下げる傾向があるともと言います。

エラソウなこといって、お前ができるのか、
と言われるともちろんできませんが、
発言力のあるひとたちが、不安の構造を理解し、
その解消に努めているとは思えないのです。

例に出して申し訳ないけど、
こんな子供の読書感想文みたいな文章が、
もてはやされるのは、まったく理解できないわけで。

はっきり言って、不安という感情だけで
書かれた文章にしか、読めません。

特にこのくだり。

> そんなことで、経済が落ち込んだりしても、
> 生活水準が下がっても、全然OK!!

これまでどんな思いをして日本人が豊かになってきたか、
そしてその恩恵があって、今のわたしたちが生きていること、
どれだけ想ったことがありますか?

このような文章を手放しで賞賛する、
社会の心理状態こそ、問題にすべき点であると考えます。

この状態に情報を出すべき人、社会に影響力のある人が、
どこまで気づいているか。

同じように、不安に振り回されていないか。
あるいは、そのような不安を軽んじてはいないか。

またデマがなぜ広まったのか、
そのデマが信じられたのかを分析して、
後世に活かす
、ということも必要でしょう。

ドラスティックな「革命」は、必ずや「反革命」を惹起する。
そして、現状を否定する「革命」とその反動で起こる
現状維持に走る保守的な「反革命」、どちらにも解はない。
そんな単純な世の中ではありません。

そして、

> 一市民としてはそういう反応は当然でしょうが、
> そこをうまく整理して踏ん張らないといけない。

(「緩やかな介入」でニッポンの耐震性を高めよう P.3

というように、個々人の問題として、
放置するのではなく、如何に不安に抗い、
正しく物事を判断できる心理状態に、
より多くの人を導いていくか。

影響力のある人ほど、個別の議論以上に、
そのことに気をかけて頂きたいのです。

風評が起きることをしょうがないなどと、
諦めてしまわないで頂きたいのです。

以前にも取り上げた「二項対立が生んだ巨大リスク」。

これが、不安中毒というこころの闇に、
冒されていくことで肥大化する二項対立のリスク。

この例は、これまでの原発問題における
推進派・反対派の対立が生じせしめた結果を言っていますが、
これこそが、第4の災害の正体。

未曾有の国難にあって、今後の日本がどうあるべきか、
考えがそう易々とまとまりはしないでしょう。

だからこそ、立場の違う人、意見を異にする人への
想像力が必要だと思います。

そして、漠然とした不安に苛まれたままでは、
そのような尊い想像力を大きく奪ってしまいます。

例えば、原発に反対するなら、
この文章を読んでみてください。

単純で衝動的な反原発論には与しませんが、
豊かな未来への意思を強く感じる反原発論です。

もちろん、外野がいつまでそんな不安を抱えたままでいるんだ、
しっかりしろと強圧的に言ったところで、
どうにかなるものではありませんし、
むしろ、それが逆効果であることは明白です。

しかし。

あなたが不安を抱えたままでいること、
そして、その不安に苦しみ続けることは、
あなただけの問題ではないのです。

ひとりでも多く、ひとりでも早く、
不安に侵され、正しく物事を判断できない状態から、
立ち直らなければならないのです。

不安のスパイラルから一人ひとりが
自らの力で立ち直ること、それが日本を国難から救う、
大切で大きな一歩だと信じます。

不安がまとわり付いた悪魔のスパイラルから
逃れるヒントが「日常」との上手な付き合い方に、
あるような気がしています。

いまある「気持ち」を日常に取り込む

当たり前の日常がもたらす退屈さは、
逆に言えば、理屈抜きの安心感がある、ともいえます。
まずはカタチから入るというのも一手かな、と。

ただ、これが本当に有効なのかどうかは分かりません。
こういうときこそ、臨床心理士の出番では・・・
と思うのですけども。

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そうだ・・・バージョンアップしなきゃ。

ある日。

AMNさんからお届け物。
なんだっけ・・・そうだ。Firefox 4のステッカー。

P1210115

「Firefox 4」ブロガーナイトに申し込んでいたのですが、
さすがに震災直後・・ということで、
中止になっていたんです。

でも、Mozilla Japanさんから当日イベントで
渡すはずだったステッカー等を届けたい、ということで、
ありがたく頂戴しました。

で・・すっかり忘れていたFirefox 4へのアップデートの
きっかけになりました(苦笑)

blogを書く際、あるいはTweetする際には、
元ネタをだーーーっと、タブで開くのですが、
明らかに軽くなった感じがします。いいですね!

まだちょっと、上にタブができるのには、
慣れない気がしますけど・・・
地味ですがピン留め機能は、使えます。

これからも、Firefoxつかっていきますよぉ。

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白州同窓会 in 昭和記念公園。

先週の日曜日。
ちょうど、東京ではいい感じで、桜が開花。

ということで、しばらくぶりのお花見をしてきました。
というのも、昨年の白州ブロガーイベント
懇親会で同席させていただいた方々と、
Twitter上で同窓会したいよねぇ、という話になり。

わたし、始めたのが2月だったんですが、
みなさんすでに始めてられてたんですよね・・・

ちょうど、桜がそろそろ咲くかな
というときでもありましたし、例の花見控えましょう、
というのでなにくそ、こんちくしょう!
と思っていたので、そのためにも・・・ね。

お集まりいただいたのは、この5名の方々。

そんな毎日、こんな毎日 by a_yoshie508さん
今日という一日。 by sa*naさん
GUINNESS BOOK by guinnessbookさん
kitakitabean`s by ponさん
ウイスキーねこの琥珀時間 by ウイスキーねこさん

Margaritaさんにも、お声掛けしたのですが、
残念ながら都合が合わず・・・残念。

とりあえず、言いだしっぺの特権(?)で、
nikko81家の庭と名高い(んなわきゃない)
昭和記念公園を会場に指定(笑)

わたしは9時ごろに昭和記念公園に着いて、
9時半の開門とともに入園したのですが、
けっこう人が多くって。

お花見開始の11時くらいには、この通り。
ちゃんと今年も皆さん、お花見を楽しんで
おられましたよ。

P1210091

ちゃんと場所取りしてよかったぁ。

わたしはハイボール、それから
カルビーさんのキャンペーンで頂いた
オリーブオイルポテチを持参。

P1210066

食べ物はさすがに少ないので、皆さん持ってきて
くださいねーとお願いすると・・・出るわ出るわ(笑)

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どどーん。た、食べきれるんですかね、これ、
という量。逢えなくわたしのポテチは戦力外通告(笑)

でも、真ん中にあるパンパンな信玄餅は、
皆さんの注目を集めました!

ハイボールで、かんぱーい♪

P1210100

もちろん、ちゃんと桜も激写。
あんな記事を書いておきながら、
なぜか、復活しちゃったんですよね・・デジカメ。

つい先週なのに、まだまだつぼみも
あったんですよねぇ。

P1210071

世の中に絶えて桜のなかりせば、
春の心はのどけからまし、
とまで、在原業平に詠わしめた桜。

P1210089

やっぱり、これがないと日本の春は
始まりませんよね。

いつもはあちこち、撮影し歩くんですが、
今日はこれくらいにして、ハイボールを頂きまくり。

真鉄・ponさんの鉄道話や、わたしが持参した
御料車の図録に、異様に盛り上がるyoshieさん・・・
など一部で、鉄分が濃くなりつつも、
楽しい時間が過ぎてゆきました・・・

楽しすぎて・・・あれ、なんだか・・・
まぶたが・・重い・・ような・・気が・・する・・Zzz

すっかり居心地がよくなってしまい、
桜の下ですっかり眠ってしまいました(汗)

どれくらい寝てたんでしょうかね。
本人、まったくワカリマセン(爆)

とりあえず、撤収する前には起きたことは、
憶えてますが・・・

「愛」と書かれた凧を揚げるおじさんに出会い、
しばし眺めてたり・・・

P1210101

なにやら、本格的な感じ。
ってしか・・なにぶん、寝起きなモノで(笑)

P1210108

しかし、皆さんに楽しめていただけたようで、
何よりでございました。ま、居眠りは
しばらく言われるんでしょうけど・・・

ご参加いただいた方々、ありがとうございました。
そして、こういう場のきっかけになった、
サントリーの皆さんにも、感謝。

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ICHIGENDO。

甲府帰り、各駅停車でどんぶらこ・・・
と高尾まで帰ってきて。

駅に隣接する「Ichigendo」さんで、
薬膳豚カレーをいただきます。

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すっかり、ここのカレーのファンです。
いい値段はするけどね・・・

豚も美味しい!

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ルーには、お豆さんたっぷり。
国産野菜とフルーツを煮込んだルーは、
辛さはあるものの、コクと程よい甘みが
心地よく感じられます。

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箸置きがピーナッツ!

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食後にガトーショコラまで食べちゃって・・・
この日の歩数、約2万歩くらいだったから、
まぁ・・いいんじゃないかと、必死に言い聞かす(笑)

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4/9・甲府巡礼 ~武田神社・火葬塚~

さて、やってきました甲府。
晴れ間も出てきて、甲府駅南口の信玄さん
ゴキゲンで花見中。

P1200950

駅前で甲府商工会議所のみなさんが、
甲冑姿で募金活動してました。

武将と記念撮影撮れますよー・・と
言っていたのですが、あいにく信玄公は、
被災地の支援でもしているのか(笑)、
甲府に姿はなかったようでした。

さて、連絡橋を渡って北口へ。
この家紋を見るだけで、武田二十四将を言い当てたら、
これぞ真の武田フリークでしょうな。

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ここからは一直線で北に上がると、
旧躑躅が崎館跡の武田神社。

P1200953

ここの桜もなかなかキレイで、
これを楽しむために、毎年歩いて武田神社に
向かっているのですよ。

で、突き当りの武田神社。
が、がらーーーーーん。
一年で一番人が集まる頃なのに・・・

P1200954

お祭りを協賛している現在の武田家の旗は、
そのまま飾られていましたね。

P1200959

相変わらず、鶏がいる不思議。
手水場から流れ出る水を飲んでいました。

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さて、1年間よく護って頂いたお守りを返納し、
新しいお守りを授かります。

旧・お守り。1年でずいぶんくたびれ、
刺繍もほどけてぐったり。

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新・お守り。しゃきーーーん!

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年初も来ましたが、しっかりお祈り。
境内も桜がきれいでした。

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姫の井戸で喉を潤す。

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武田神社入り口から、武田通りを眺める。
この時期は、なかなか壮観な眺め。

もう1点向かうのは、信玄火葬塚。
土屋昌次邸のあったところと言われ、
信濃国で亡くなった信玄の遺骸はここで
荼毘に付され、3年間秘して葬られる。

紫が印象な花・・・なんでしょこれ。

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ここに向かう道も毎年桜がきれい。
ちょうど武田神社を出て、山梨県護国神社方面へ。

P1200979

何度もこちらでもアップしてますが、
火葬塚ということもあって、
そんなに仰々しいものではありません。

P1200989

浄財箱が新調されてる!
地元の老人クラブの設置であるようです。
こちらのお掃除など、して頂いているでしょうから
心ばかりの気持ちを入れておきました。

P1200990

やはり、墓前の周りも桜が満開。
こういうとき、あなた様ならどういう行動を
なさるのでしょうか・・・日本をお護りください。

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このあと、チョットランチで冒険して、
古めなお店に入ってみたのですが・・・・

値段高くて味がぼやけてる・・・ガクッ。
順当にほうとうにしておけば良かった。

ちょっとだけ、甲府城(舞鶴城)にも。
こちらは武田以後の豊臣・徳川期の城郭。
門や櫓が再建されつつあります。

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再建された稲荷櫓。
まだ新しいのに、ちょっと黄ばんでるのが
気になったりしましたが・・大丈夫?

P1210028

甲府城ももちろん、桜がきれいなところ。

P1210026

今ちょうど、鉄門(くろがねもん)の再建に
取り掛かっているようで、銅門(あかがねもん)も
再建されるかもしれないとのこと。

あと、稲荷櫓にある当時の甲府城模型を見て・・・
もう今は、道路になってしまっているのだけど、
二の丸の端にあった月見櫓って、三重櫓だったのね。

P1210040

そっかー・・・この櫓台があれば、
こっちを再建したほうが映えたのになぁ、とか思いつつ。

天守台。天守があったかどうかは、
議論を呼んでいるけど、豊臣時代にはあったんじゃ?
と、個人的には思っております。
なかなかの大きさの天守が建つよね?

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最後、夕陽に映える稲荷櫓。

P1210038

甲府城は、中央線によって分断されてしまっている
その代償として、電車から櫓がよく見えるんですよね。

今年は少し、さびしい4月の甲府の旅。
結局、恵林寺は行けず仕舞い。

でも、山梨でもう1件行きたい工場見学があるので、
ぜひ恵林寺と一緒に行く計画を。

あと、番外編として・・・駅前で募金していた
甲冑隊。信玄公祭りのテーマメロディを
口ずさんで甲府駅を練り歩いていました(笑)

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4/9・甲府巡礼 ~桔梗屋・信玄餅詰め放題~

さて、本日4/12は、信玄さんの祥月命日。
細かいことを言うと、今の4/12は太陽暦であって、
当時の旧暦に従うと、5/13なんですがね・・・
ま、それはいいや(笑)

その4/12近辺の土曜日に毎年開催される
信玄公祭りが4/9に予定されて
いたんですが・・・中止。

毎年、これのために甲府往きを予定していたんだけど、
お守りをお納めしたいし、毎年のことなんで、
お祭りはありませんが、今年もお出かけ。

まずは時間の関係で、石和温泉駅で下車して、
桔梗信玄餅で有名な桔梗屋さんの工場へ!

・・・いつかやってみたかった、
信玄餅詰め放題に挑戦っ。

時間の関係で、タクシーを使ったんだけど、
まぁ・・・石和温泉も客が少なくて、
商売上がったりだ、という嘆き節の運ちゃん。

やっぱりね、特に団体客が少ないって。
複数のホテルで連繋して、輪番停電ならぬ、
輪番営業しているとこもあるとか。

桔梗屋さん。喜び勇んで、
アウトレットのほうに向かうと・・・・

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がーーーーん。整理券終了。
え?まだ、1時間も前だよね?どゆことどゆこと?

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ショックで(笑)どうしよう・・・
とうろうろしながら、アウトレットのお店に。

あら。ちょっと高級な「吟づくり」がお安いですこと。
定価の約1/4ですよ・・・賞味期限激短ですが(爆)

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お皿。直接関係ないんだけど、
飲食店向けの食器類を安く仕入れるルートがあるらしく。
どれでも一皿50円・・という超破格特価!

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なにこれ・・・ここに顔を入れて、
横から齧られて、イテテテテとかやれっての?(笑)

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しょうがないので、お菓子の美術館のほうに
ある工場見学コーナーヘ。

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なかなかおもしろかったですね。
こんなでっかいところでもち米をこにょこにょ。

P1200847

こっからは動画でどうぞ!
切り出して出てきた餅を揃え・・・

真ん中を軽くフミフミ。

互い違い?に蜜を並べてるのはどうして
なんだろうね?

包装は工場の方の手仕事!
結ぶの、早っ!

そのほか、信玄桃やどら焼きを作ってるところも。

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どら焼きは、あんこ乗せ乗せ中。
どうでもいいですが、やっぱりこれって、
三笠」なんだよなぁ・・・大阪人的には。

P1200868


お菓子の美術館というだけあって、
工場見学を過ぎたところには、
お菓子で造った植物の数々。

P1200876

個人的には、牡丹や秋桜が特に
リアルさがあるなーと思いましたよ。

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紫陽花もよかったかなぁ。

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動物も。こちらは尾長鶏。

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鮒でしょうか。目がコミカル。

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これらを組み合わせて、ジオラマチックに
仕立ててあるのも。蓮の花が浮かぶ池。

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川原のひととき。

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なぜ西洋の城?という感じもするけど・・・
どうせなら、甲府城天守の想像模型とかを
お菓子でつくればいいのに・・(笑)

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桔梗屋さんって、本家は東京にあったらしいのだけど、
震災だか空襲だかで本家がなくなってしまったとか。

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甲府で暖簾分けされてできたお店が、
本家を名乗ってつながるのが、
今の桔梗屋のはじまりなんですってね。

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そのあとも店をぶらぶら・・・
信玄餅と生ロールケーキの夢のコラボ。

P1200926

冷凍で持って帰って、食べる前に常温で
30分くらいの解凍だとか。
このあとも予定があるので、残念ながらパス。

桔梗屋さん、ものすごい自信。
満足いかんかったら返金と宣言しちゃいます。

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あら・・・出てきてみると、
行列が?どゆこと??

どうやら、整理券がなくても並べば、
信玄餅詰め放題ができるみたい。
並ぶぞー!エイエイ、オー!

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大人も子供も、真剣です。
*「パパ、ちょっとこっちかしなさいよ!」

P1200930

上に書いてますが、ここの信玄餅、
本日消費と書いてあるので、
一気に食えるか!という感じではありますが、
まぁ、1日だったら・・死にはしないでしょう・・・

だーーーーん、と並んだ信玄餅。
これを袋が許す限り、詰めて詰めて
詰め込めるのですよぉ。

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で、結果。底に信玄餅を縦に五角形を
つくるように並べて、更に真ん中にもう1個。
これを2段作って合計12個。その上に、
何とか3個を足して、合計15個。
これで・・・なんと210円。安ッ・・・!

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不器用な割には、けっこうがんばったつもり。
パンパンな信玄餅たち(笑)

そのあとには、桔梗信玄アイスで一段落。
黒蜜×黄な粉なアイスだけじゃなく、
餅もついてくるオイシイ一品。350円。

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あれ・・・大量の信玄餅のほうが、
ぜんぜん安いんですけど(笑)

このあと、甲府に向かい、
例によって、武田神社を訪れます。

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「忘れてくれないなら、せめて悲しまないで」

今日は、ほんとうにわたしの人生というか、
生きる上での考え方に大きな影響をもらった方の誕生日。

この世を去って5年亡くなった事実を知って
もう4年も経とうとしているわけだけど、
あれから毎年誕生日である4/10には、
彼女のことを思い出します。

特に今年は、東北地方を襲った大地震があり、
もしまだ居ててくれたなら、今回の地震のこと、
どう思っただろうか、と考えずにはいられません。

たぶん・・たぶんですが、
阪神淡路大震災で、大きなこころの傷を負ったひとり、
だったのではないかと思います。

彼女が書いたside story

未完に終わってしまったわけだけど、
なぜ・・・彼女がこういった話を書いたのか。

そんな野暮なこと、聞こうにも聞けるはずが
なかったわけですが。

わたしも、かの地での地震を経験したひとりですが、
幸いにもそんな大きな痛手を
被ることは、ありませんでした。

だから、あの揺れそのものを経験はしていても、
大切な人を失った悲しみや、どう生きていけばいいか
見当もつかないという絶望を、やっぱり生身の感覚として、
こころの中で受け止めたことがない。

だからこそ、この地震を契機に日本を駆け巡っている
現実にどう向き合うか、立ち向かうかということについて、
彼女のことばを聴きたいなぁ、と思うのです。

彼女は、この世の去り際に、
こんなことばを残しています。

> 残った人は辛いよね。自分のことは忘れて欲しいけれど、
> 忘れてくれないならせめて悲しまないで欲しいかな

この地震、津波で命を失われた何千、何万という方々が、
同じようにお考えになるかは、判りません。

でも、このことばを読み返すにつれ、
ちゃんと立ち直って、生きていていいんだよ、
というメッセージなのかな、というようにも思えます。

> 頭の中を ふっと右から左に通り抜けようとする「想い」
> をがっしり掴まなきゃなって思うの。
>
> チャンスの神様には前髪しかないけれど,
> 思考の神様には しっぽがあるのよ,きっと

幸いに、思考の神様にはしっぽがあるそうです。

通り抜ける前に掴んじゃうのでもなく、
通り抜けて逃がしちゃうわけでもなく。

ちゃんと想いを汲み取ろうとして、
しっかりと掴み、受け止めよう。

今日は、白州のイベントの懇親会
同席した方々で集まって、お花見をしてきました。

その話は、また追ってするとして・・・
人間たちの想いなど知る由もなく、
今年も美しく咲いていた桜の花を捧げましょう。

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こうして「知り合えるよろこび」を、
誰よりも、深く気づかせてくれたでるふぃさんに。

そういやside storyでも、

> 桜の花びらが、雪のように舞い散る。

という一節から、始まることに気づきました。

「笹野美也子」にとっての桜のように、
被災者の方々にとっても、辛い記憶を呼び戻して
しまうのかもしれない。

だけど。

とあるバーのマスター・野上和彦が、
こう語りかけます。

 人間は想い出が無かったら生きて行かれへんよ。
 けどな、想い出だけで生きて行くわけにはいかへんの。
 (中略)
 いつか時が来たら、辛いことも昇華できるよ。
 人間ってそゆとこ上手いことなっとんねん。
 せやのに、逆行してどないすんねん?
 忘れるようにしろってゆーとんのちゃう。
 自然に昇華できるようなもんを
 引き戻すようなことをするのはやめゆーてるだけや

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ハンドルと実名は、両立する。

すっかりのこの震災で、どこかにすっ飛んでましたが、
Facebookについて、書きたいのをすっかり忘れてた、
というのを、この記事を読んで思い出しました。

結局、まだ本自体は読んではないのですけど、
AMNの徳力社長の記事を読んで、

 透明性の高い実名インターネットが
 世界を変えると、本気で信じている

っていう、無邪気すぎるザッカーバーグの思想って
ものすごく危険なんじゃないの?って感じたわけで。

変えた後の世界は何なのか。

・・・わたし個人的な考え方として、
なんでハンドルで続けてきたか、
実名にしないのかを考えるなかで、
とあることをきっかけに、こう思い至ったんですよね。
実に、最近のことなんですが。

実名かそうでないか、というのは
表と裏、公と私、ONとOFF。

オフィシャルな立場として、わたしの場合は
一会社員としての立場として、行動したり、
発言するのはもちろん、「公」。

一方で、blogとしての活動は「私」の世界。
Twitterもそう。10年以上にわたって、
”nikko81”という「私」として、活動してきた。

当たり前のことだけど、「私」だから
発言にいい加減かというと決してそんなことはない。

むしろ、「私」のほうが気兼ねなく、
本来のわたし自身の考え方の軸、好み、信条・・・
わたしが何者であるかというものが
色濃くにじみ出せている、と思うんです。

だけど、この区分けだって強制するものじゃない、
と思うわけですよ。「公」「私」が連続している
方もいるだろうし、ある種のリスクを踏まえた上での
選択であれば、そうあったっていい。

・・・匿名であるという選択肢を奪う、
多様性に乏しい世界を率先してつくろうとしてる、
たぶん、わたしがFacebookを許せないのも、
その点にあるんだと。

この先、使うことがくるかどうかは別にして、
「公」としてのわたしが、ソーシャルメディアをつかって
ツナガリを求めようとすることがあるなら、
Facebookは非常に有用なツールになると思います。

しかし、そういう使い分けを認めるのではなく、

 2種類のアイデンティティーを持つことは、
 不誠実さの見本だ

という一方を切り捨てる不寛容な思想には、
やはり、「No」を突きつけるしかない。

自律性と好奇心に加えて、多様性と
寛容さを大事にしたい、という信条を持つ以上、
不寛容に対してのみ、敢然と不寛容を
貫かねばならないわけです。

・・・などなどと思っていたことが、
実に解りやすく、ここにスッと頭に入るカタチで書かれてある。

つまり、

> 匿名・通名主義は、自身のアイデンティティを
> どう扱えるかという“自由”の問題である

ということだったんです。
そう、「選べる」というきわめて重要な権利。
そして、われわれが勝ち取った権利であるということ。

何よりも重要なこと、Facebookがネット世界での
重要な位置を占めたときに、他の選択肢がなく、
同調すべしという圧力がかかった時・・・

実名にしたい人がやったらええやん・・
と言えなくなると、庶民を虐げる圧政の如き、
暴力性が表に出てくる。
これこそ、Facebookを第一に危険視する理由。

だから、Facebookがあって当然なUSですら、
ちゃんと匿名性を確保しようとする動きがあると知ったとき、
至極当然、きわめて健全だ、よかったと思うわけです。

さらに、なぜわれわれが匿名・・・というか、
通名を当たり前のように使っているか、
という日本の文化に根ざした視点。

そして、マイノリティを意識せずに排除している、
という視点。他の国ではどうか判らないが、
間違いなく、日本では重要なところ。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

将来、Facebookを使うようになることは、
あるかもしれない。だけど、それは「公」としての
わたしが利用するだけでしょう。

1年前、Twitterを利用するのを控えていた、
というのとはワケが違います。

Twitterの場合は、自分の書きたい衝動が
ダイレクトに表出しすぎて、
自分を締め付けるんじゃないか、
そうならないためには、どういう使い方を
すればいいか・・・を模索していました。

でも、Facebookは根本思想がどうも受け入れがたい。
この1年、どういう動きをとるのか、
注意深く見守っていきたいと思います。

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山崎でチカラをもらってきました。

さて・・・時系列なんて、なんじゃらほい、
というくらいグッチャグチャになってますが・・・

あの地震が起きた翌週。
正直言って、疲れてしまいました。

計画停電のこともあって、安心して
blog更新ができないかも、というのもあったんですが、
それ以上に、まずゆっくりしたいという気持ちがあって、
急遽18日の夜に、大阪に帰ったんですね。

新幹線に乗るわたしの手にはしっかりと、
響ハイボールセット・・

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ふふ、ウマイ!
響12年ハイボール缶とか、つくりゃいいのになー。

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晩ご飯は、引っ張れば熱々になってくれる、
うなぎ弁当です。はふはふ。

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みそ汁つき。このみそ汁、出汁が効いてて、
塩分控えめで何気にうれしい一品。

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で・・・帰ったら、とりあえず行くよね。
ということで、山崎蒸留所(笑)

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アッツアツのポットスチルのある部屋も、
寒い日には離れたくない・・みたいなくらいです。

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毎度おなじみ、貯蔵庫。
寒い日はちょっと香りも控えめでした。

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2010年蒸留の新人さん。
ちょっと鏡板の周りの黒く太い部分が厚め?

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みんな素通りなサントリー100周年の記念樽。
ちょ、ちょっと!

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相変わらず、貯蔵庫を出てすぐに池が
山崎の水を美しく湛えていました。

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見学が終わったら、有料試飲に直行!
何より増して、響17年構成原酒ミズナラさまを
いただかなくては・・!?

1杯2,000円ですが、同じミズナラでも、
山崎12年構成原酒よりも断然、好みなのです・・
うっとり・・・(*´Д`*)

よくよく考えてみるとですね。
1本10万円の響30年が、こちらで1杯2,300円なわけですよ。
ということは・・・この構成原酒も、
フルボトルだとそのくらいのお値段なはず。

それを・・それを・・お代わりしちゃいましたから。
てか、180mlくらいで小分けして売って欲しいものです(笑)

しばし堪能した後は、山崎駅前のヒロさん。
こちらでお世話になってから、山崎蒸留所に
行った際は、必ず訪れているんです。

まずは、山崎10年+伊右衛門濃い目でつくった、
京都ハイボール。
# 山崎は京都じゃないんだけどなー・・
# 大阪なんだけどなぁ・・シツコイ(笑)

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他人丼。東京のヒト、知らないでしょう。
鶏肉+鶏卵が親子丼。ならば、牛肉+鶏卵なら、
他人でしょ、という発想(笑)

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東京じゃ、まず見たことないからね。
久しぶりに、美味しく頂きました☆

ま、このあとはまったりゆったりのんびり、
実家で過ごしていたわけですが・・
飛騨牛A5の焼肉とか食べたりして( *^艸^)

ですが・・最後に試練は待ってました。
まさかのJR京都線、人身事故。そして山崎駅そばの
踏切がぶっ壊れるアクシデント。

し、新幹線に間に合わん・・・ということで、
急遽、阪急電車を使いながら迂回するも、ジ・エンド。

や、素直に新大阪から新幹線に乗ればいいのですが、
ちょっとケチって京都から乗っちゃうクセが。

ま、無料で振り替えはしてくれたので
よかったですがね・・

落ち着いたところで、辻利のグリーンティ。
これもわたしのなかでは、超定番。
東京でも飲めるし!という声もありましょうが、
帰省の最後はこれ、というところに意味があるのです。

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お土産は、生八橋しょこらばーじょん。
生八橋も色んなバージョンが出ますよねぇ・・・

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かなりショコラの濃厚さが詰まっていて、
生八橋って、カタチと食感だけだったかなぁ(笑)

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ま、地震があってすぐのときは、
精神的に皆さん、きつかったと思います。

頭の中では、被災地の方のほうがどんなに・・・
ということがあっても。

でも、やっぱり生まれ育った大阪のチカラは
偉大だった。もう、だいじょうぶ。
計画停電、どんときやがれっ。

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試飲即売会 + デッドストック飲み会。

これ、まだまだ地震前の話、なんですが。
3/6、あるじさんに教えてもらって
芝パークホテルで開催された試飲即売会へ。
スコッチモルト販売さん主催。

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いろいろ頂いたんですが、
買うのはこれにしよう、と決めたのが、
Glen Ord 18yo 1990。

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トップノートはキャラメル感、
次第にバターや蜂蜜・・という、わたしが好みな
ハイランドモルトの特徴が出てます。

18年のシングルカスクですが、
約7,000円というCPの高さもいい感じっ♪

その足で向かったのが、あるじさんのお店
Bar Vergoのデッドストック飲み会

毎年、2月が決算期ということで、
直後に不動ボトルを空けちゃいましょう、
という会があるんですよね。

飲みきれないボトルは、なんと持って帰ってよし!
年1回の太っ腹イベントです。
会費2,000円ですしね・・・

まずは、もうちょっとしか残ってない、
ジュラを頂いて・・・

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そのほかにもいろいろ頂いたんですが、
お持ち帰りは、Teaninich 27yo 1982。

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はじめは、麦っぽさや草っぽさという
植物感があるんですが、次第に焼け石、
パヒューミーさや、石鹸の香り。

あの・・・お風呂のそばを通ると、
しますよね、石鹸の香り。あんな感じなのよ。

そして、もう1本、アルマニャックも頂き。

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普段、ブランデーは飲まないのですが、
ブランデーも美味しいですね・・
いや、これを頂いたほうがうれしかったかも・・・

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裏のラベルを見ても、すごいオールドボトルなんじゃ?
という感じがしてきますよね・・・

いやいや。実にお得なひと時でございましたよ。

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Whisky LIVE! Tokyo 2011 ニッカセミナー編 ~ 遊び ~

さて、最後はあまり語られることのなかった
(と個人的には思う)遊び。

仕事に情熱をかけてる人って、
趣味=仕事というか、寝ても覚めても仕事のことを
考えて当然、みたいな人もいるような気がしますが・・・

政孝は、

よりよく遊ぶものは、よく仕事する

という考え方を持っていたようです。
ウイスキーづくりと共に、政孝が残した、
ニッカウヰスキーのもうひとつの伝統・・・だとか。

やはり活動的だったんでしょうか、
テニスや野球などをよくし、会社内でもチームを
つくっていたんだそうです。

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まぁ、社員は必ず何かスポーツ部に
参加しないといけない決まりってのは、
ちょっと今の世の中じゃ、シンドイかと思いますが^^;

おもしろいのは、遊びでも負けず嫌いな政孝と
テニスのダブルスを誰も組もうとしなかったこと・・・
で、負けるとこっぴどくしかられるという(笑)

ということで、ダブルスの相手は
もっぱらご子息の威さん(現・ニッカウヰスキー相談役)。

他にも熊打ちや釣りなど、体を動かすことが
お好きだったようですねぇ。

よい酒を造るものは、口に贅沢をさせなければならない、
ということで、宴会でも美味しいものを社員に
食べさせないとも、思っていたようです。

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いわゆるノミニケーション的な意味も含んで
いたのかもしれませんが、飲食に携わるものとして、
味覚に敏感であれということなのかもしれませんね。

あと、プライベートでウイスキーばかり飲んでいた、
というわけでもなく、喉が渇いたらビール、
刺身には広島の日本酒(竹鶴酒造?)だとか・・・
と何でもこいといった感じ。

飲み方についても、好きに飲んだらいい、
人それぞれ飲み方は違っていいという考え方で、
飲み方を押し付けるようなことはしなかったといいます。

ものづくりの頑固さと比べると、
意外と(?)けっこう柔軟な感じですねぇ。

ただ、ウイスキーのいろんな飲み方を
することはなかったのかな・・というのはちょっと残念。

遊び・・とはちょっと違うんですが、
政孝の社会貢献。有名なのが、竹鶴シャンツェですよね。
え?「よね?」とか言われても困るか(笑)

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1941年、地元の中学の校長から相談され、
私費を投じて政孝がが建設したそうで、
余市町、ひいては日本のスキージャンプに
大きく貢献することになりました。

札幌オリンピックで金メダルを取った、
笠谷幸生選手もここで練習した・・といわれても、
わたしはピンと来ないのですけど(笑)

わたしだったら、1998年の長野五輪で、
団体ラージヒルで金メダルを取ったときの
メンバーである斉藤浩哉、船木和喜両選手を
思い浮かべますね。

当時、仮面浪人していて受験の直前。
駿台に通いつつも、この時間だけは
上本町駅の大きなスクリーンにかじりついて、
必死で応援してたよなぁ・・・

このお二人も余市町出身。ということで、
この竹鶴シャンツェで練習されたんですね・・・

最後のティスティングは、竹鶴21年。
まぁ、珍しくもないわけですが、
やはり完成されたウイスキー・・・と
呼ぶにふさわしいでしょう。

最後に。

竹鶴政孝は、人生と運命の関係には
ふたつのタイプがある・・と言っています。

自らの力で運命の扉を切り開いていくタイプ、
そして、周囲の好意や協力で進む機会が与えられ、
扉のほうからおのずと開いてくれるタイプ。

そして、自身は後者だったと評しています。

しかし、久光さんも話の中で触れられていたように、
学び、愛し、遊び、そして信じるものに
突き進もうとした一途な気持ちがあってこそ、
周囲が盛り立ててくれたのだろうと思うのです。

人生のすべてにおいて、全力投球した
竹鶴政孝。ウイスキーの話を一端横に置いたとしても、
その人生を貪欲に駆け抜けた生き様には、
深く感じ入るところがありますね。

途中で涙でそうになっちゃいました。
すごいなー・・このエネルギッシュさ、
見習おうとして、見習えるもんじゃないですが、
心にとどめておきたいですね。

ということで、ニッカのマスタークラス、
ようやく終了と相成りました。

で・・シングルカフェモルトを
マイグラスにためこんで(笑)、セミナー会場を
後にするのでした・・・

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Whisky LIVE! Tokyo 2011 ニッカセミナー編 ~ 仕事 ~

続いては、品質にかける想い。

■仕事

竹鶴政孝は、生涯技術者・・というか、
愚直で信じる道に没頭する職人のような人。

戦後すぐのこと。当時はウイスキー原酒が、
一滴も入っていないイミテーションウイスキーでも、
「ウイスキー」(三級ウイスキー)を名乗れました。

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しかし、あくまで原酒をたっぷり含んだウイスキーに
こだわり通そうとしたため、経営が悪化。

戦前にサントリー(当時壽屋)ですら、
最初に出したサントリーウイスキー白札が
飲みにくいとオオコケしたわけで・・・

マーケット側のウイスキーを受け入れる環境も
原酒がいいから、必ず認められるというものでも
なかったわけですね。

従業員への給与も滞りはじめ、
周囲からしきりに三級ウイスキーを出すよう、
説得された結果、ついに苦渋の決断をする政孝の弁。
(ニッカウヰスキー社内報より)

 わしは取りたてて取り柄のない男かもしれん。
 だが、ウイスキーづくりに関しては誰にも負けんつもりだ。

 わしがどんなウイスキーをつくってきたか、
 技師の諸君はよく知っておるはずだ。
 他の諸君も知っておいて欲しい。
 わしは本格ウイスキーしか手掛けなかった。
 ウイスキーの名を騙って模造ウイスキーを造ることなど
 良心が許さん。

 ウイスキーの名に恥じぬのは、本物の原酒を
 たっぷり使った本格ウイスキーだけだ。
 だからわしのところでは一級ウイスキーしか
 造ってこなかった。その気持ちは今も変わらん。
 これからも変えるつもりはない。
 だが、諸君も知ってのとおり
 世は三級ウイスキーの時代だ・・・

 わしは耐えうる限り耐えてきた。
 三級ウイスキーという名ばかりの製品は出さずに、
 誇りを貫いてきたつもりだ。
 だが、それも限度にきてしまった。

 会社の将来を考え、われわれの生活を
 支えるためには、やむを得んのだよ。
 わが社でも三級ウイスキー発売に踏み切ることにした。
 諸君、ニッカウヰスキーの誇りを忘れず、
 この事情をよくかみしめて欲しい・・・

まさに竹鶴政孝、というかニッカの伝統を
体現した文章です。

如何でしょうか、考え方によっては、
市場が見えていないプロダクトアウトの発想と
思われる方もいるかもしれません。

しかし。

今、食べものや飲みものって、人工的なものではなく、
素材に忠実に、そして自然の力をうまく
味方に引き寄せたものが見直されてますよね。

ウイスキーを育てる自然への敬虔な気持ちを忘れず、
嘘偽りのない堂々としたものづくり。

そういうものづくりとして本来、あるべき姿に
最初からこだわり続けたのだろう、
と思うのです。クラフトマンシップっていうか。

その意味ではあらゆる手を尽くして、
市場開拓する鳥井信治郎の「やってみなはれ精神」とは
対照的だし、またその違いがウイスキー業界を
健全に盛り上げる原動力になってるのかな、とも。

サントリー的なマーケティング・広告重視型だけでも、
ニッカのような本物追求志向だけでも、
ウイスキー市場って、ダメなんだろうなと思うのです。

でもね、そういう不器用さが逆に
ニッカを愛おしく、応援したくなる所以で
あったりするのですけどね・・・

こんなものづくりができるなんて、
なによりカッコいいじゃないですか。

スコットランドで学んだ製造技術を買われて、
壽屋に入社した際も、消費地に近い山崎ではなく、
もっと北方での製造にこだわっていたそうですし。

10年の壽屋との契約満了を経て、高禄を捨てて、
自ら理想とする場所を探します。

当時の政孝の年俸は、4,000円。
総理大臣が1,000円だったそうですから、
ものすごい高額だったわけですが・・・

たどり着いた理想の地こそ、北海道・余市。
信じるウイスキーづくりに最も適した場所・・・
彼の判断基準は、その1点だけ。

創業時の余市蒸留所。ずいぶん違いますが、
真ん中くらいには現在の見学コースにもなっている
一号貯蔵庫が見えますね。

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ウイスキー事業は原酒熟成に時間がかかるため、
非常にキャッシュフローに厳しいため、
当初は、りんごジュースを造っていたことは有名な話。

ニッカ・・とは、設立当初の会社名、
大日本果汁株式会社の「日」・「果」をとったもの。

本物志向は、リンゴジュースにも及び、
ジュース1本あたり5個のりんごから搾られ、
当時では珍しい果汁100%ジュースでした。

栄養価が高いことから、札幌の病院などに
納品していたんだそうですね。
高価で大量に売れはしなかったようですが・・・・

それでも、高く買い取ってくれる政孝のもとに、
りんごは山のように集まったようです。

当時の写真。余市に行ったことがある人なら、
あ、あの場所にこんなにりんごが・・!?
と思いますよね。

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ニッカの社員の手を煩わせまいと、
買い取るりんごの数は、農家の自己申告に任せていたとか。
農家からの信頼も厚く、納品をお願いした以上の
りんごが集まったそうで、信じるほうも信じられるほうも、
おおらかないい時代であったということでしょう。

余市ができたことにより、モルト原酒を
つくることができるようになったわけですが、
政孝はブレンテッドが造れるようになってこそ、
一人前という考えを持っていたようです。

やもすると、ウイ好キーたちはシングルモルトや
シングルカスクを珍重しがちですが・・・

同じウイスキーを長く、飽きずに飲み続けられる、
という「定番商品」のためには、グレーン原酒が
どうしても必要だったわけです。

こだわって飲む側としては、一期一会の
シングルカスクもいいのですが、広く一般に飲んで
もらうためには、質の安定も大事な要素。

確かに、ブレンテッドは落ち着くというか、
個性が爆発しないので、飲んでて安心感は
あるかもしれませんね。

で、そのグレーンをつくるための蒸留器・・・
これこそ、あのカフェ式連続蒸留器。

P1190943

当初は西宮工場に設置され、後に(1999年)
宮城峡蒸留所に移設。

当時でもすでに最新式の連続蒸留器はあったのですが、
穀物由来の香味成分をふんだんに残した原酒を造るため、
あえて扱いやメンテナンスが難しく、作業効率も悪い、
旧式のカフェスチルを導入したのでした。

いまや、世界に数台しかないカフェスチル。
日本ではただニッカのみ保有する貴重な蒸留器。

このたびの東北地方を襲った地震で、
少し損壊があるかもしれないけれど・・・
強くたくましくカフェグレーンを
造りつづけて欲しいもの。

さて、2度目のティスティングは、
このカフェ式蒸留機で、あえてモルト原酒を
つくった・・というカフェモルト。

以前にも「シングルカフェモルト12年」という
製品がありました。

これがなかなか美味しかったのですが、
今度のアイツはシングルカスクで1994年蒸留。

P1190950

シングルカスク・・と久光さんが
おっしゃった瞬間、あたりがざわめきます(笑)

ボトルが描かれていますが、あくまでイメージ。
市販されちょりません・・で、これが美味いんだわ。

同時にティスティングをしていないので、
正確なことはいえないのだけど、
穀物感によるビスケットやクッキー的な甘さが
際立っていた12年よりももっと複雑。

P1190951

もっと樽熟成感だったり、バニラっぽくて
ウッディ、そしてコク深い甘さと、
カフェモルトらしい香ばしさが絡み合い、
より上品で、より奥行きが感じられますね・・

解説を聴くのに必死で、メモをちゃんと
取ってない当たりが、残念すぎる(笑)

でも・・なんかカフェモルト的なぁ・・
何かを・・出そうかな・・とか・・
企んでる・・らしいですよぉ・・ごにょごにょ。

セミナー終わったあとで、空席を見つけて、
真っ先にカフェモルトをお代わりしたことは、
いうまでもございません・・・

P1200006

さらに、余市をハイランドに見立て、
ローランドに相当する穏やかなモルト原酒を
つくりたい・・ということで、設立された宮城峡。

力強い個性を持つ余市モルト原酒と、
飲みやすいグレーン原酒のしあわせなマリアージュのために、
ふたりの仲人をさせたい・・・それが宮城峡モルト。

宮城峡のニューポットができたとき、
違うな、と一言。それはよくないものが
できたわけではなく、余市とは違う個性を持った
原酒ができている満足感から出る「違うな」。

宮城峡蒸留所が建設されたとき、
森の中に蒸留所を造るにもかかわらず、
なるべく木を切らずに、建設したのだそうです。

宮城峡蒸留所を建設したとき、政孝は75歳。
力強いモルト原酒をつくる余市。
穏やかで華やかなモルト原酒を造る宮城峡。
そして、飲みやすく飽きの来ないカフェグレーン。

この3つの原酒をつくることができたことは、
ウイスキーに生きた男として、
無上の幸せだったことでしょうね・・・

P1190964

原酒は10年経って一人前。
常々、そう評していたという政孝。

ウイスキーにその生涯をささげた男、
竹鶴政孝は、宮城峡の原酒がちょうど10年経つのを
見守ったかのように1979年8月29日、
85歳でその生涯を終えるのでした。

3つ目のティスティングは、シングルモルト宮城峡1990。
わたしの今年の幕開けウイスキーでした。
甘いレーズンやブルーベリーのような香りがたまりません。

さぁ・・・最終章。
仕事だけでなく、息抜きにも全力で取り組む、
竹鶴政孝の姿に迫ります。

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Whisky LIVE! Tokyo 2011 ニッカセミナー編 ~ 恋愛 ~

さて・・続いては、リタ夫人のエピソード。

■恋愛

ニッカのファンであれば、リタ夫人のエピソードって
もう有名すぎるくらい有名なんですが・・・

企業が有名になれば、その創業者も有名なものですが、
創業者夫人も有名というのは、多くはないように思います。

P1190885

お若い写真ですね。まだ政孝と
出会う前の写真でしょうかね。
まだ、ちょっと垢抜けない感じもしますね。

わたしの好みなどどうでもいいのですが(爆)
このリタ夫人がいちばんお美しいと思いますが・・・

P1170594

グラスゴー大学に通っていた政孝が、
リタ夫人の妹に自宅に招待されたことが
出会いのきっかけになったそうです。

有名(ニッカファンの間では)なクリスマスパーティでの
クリスマス・プディングの話。

P1190888

プディングの中に、コインやら何やらを入れて
出てきたものによって、いいお嫁さんになるだとか、
金持ちになるという、占いも兼ねていて・・・

政孝とリタがそれぞれコインと指貫を当てる、
というものなんですが、この風習って、
竹鶴さんのエピソードでしか知らなかったので、
そーなんだ・・・と思っていたんですけど。

サクッと調べてみると、

指輪:早く結婚できる
指貫:一生独身

えええーっ・・全然ちゃうやん(笑)

ど、どういうことなんでしょうか。
もしや、イングランドとスコットランドで、
意味が違ったりするのでしょうか??

ま、少なくともこのあとすぐ
ご結婚されているわけですからね・・

正しい情報をお持ちの方がいらっしゃれば、
ぜひ教えていただきたいところです。

もともと病弱で、学生のころも休みがちだった
リタ夫人のことを案じ、プロポーズした政孝は、
日本でのウイスキーづくりをあきらめ、
スコットランドに残ろうと思ったそうなんですね。

でも。

以前にも書きましたが日本に行くべきだ、と
強く後押ししたのは、実はリタ夫人のほうだったと。

P1190890

なぜ、そこまでして日本に行く決意を
したのでしょうか。思うに、政孝その人だけでなく、
政孝が見た夢にも惚れこんだんでしょうかね。

帰国する際のお祝い会でも、緊張されてるな・・・
というのが分かります。ちょっと写真じゃ、
小さすぎてわからないでしょうけど。

P1190895

しかし、帰国後すぐ、摂津酒造の経営が苦しくなり、
日本での本格ウイスキー製造は頓挫。
そして、政孝もウイスキーが造れないのなら、
ということで、摂津酒造を辞めてしまいます。
そんな中、英語教師として家計を支えます

当時はまだまだ、男は仕事、女は家庭という日本。

それでもスコットランドでは、

 夫が苦しんでいる時、妻が働くことは当たり前

と言い、イギリス人宣教師の紹介で、
帝塚山学院の教師に。ピアノや英語を教え始めます。

P1190898

思ったら即行動、政孝だけではなく、
リタ夫人もまた行動の人だったのですね・・・

傷心の政孝もこれにやる気を取り戻し、
化学の教師として、働き始めることができたのです。

このほかリタ夫人は、絵も得意だったようで、
余市にあるウイスキー博物館にも、スケッチした絵が
展示されたりしていますが、その中の1枚。

P1190904

絵本に出てきそうな、優しい筆遣いと
ほんわかした雰囲気が出ていますよね・・
・・・実に多芸な方。

時は過ぎ、太平洋戦争中。

その頃すでに余市の工場を開き、
余市に移り住んでいましたが、
敵国人として、スパイ扱いされるなど、
リタにとって、苦難の時代だったことでしょう。

その一端が垣間見れるエピソード。
戦後すぐの1947年、4人のアメリカ軍将校が
北海道に行くことがあり、余市にも立ち寄ったそうです。

その際、一行の中のウォルター氏が軍医で、
医薬品をもっていて、薬やビタミン剤を
政孝とリタ夫人に譲ったとのこと。
薬と引き換えにもらったという
2本のウイスキーを贈ったそうです。

そのときのリタ夫人の体調はきわめて悪く、
戦時中の心労が想像できます。

P1190899

ちょうど、50年前の1961年。
リタ夫人が亡くなります。

イギリス人とリタ夫人が結婚して、
スコットランドにいたままだったなら・・・

日本に連れてきたばっかりに、
苦労に苦労を重ねる人生を
歩ませてしまったのではないか・・・

政孝は後年、そう振り返っています。

しかし、おそらく技術を身につけた
政孝だけでは、ウイスキー事業の立ち上げは
軌道に乗らなかったでしょう。

わたしの勝手な(当日の説明にはなかった)ものですが・・

孟子の一節を引用して、事業を成すにはよく、
天の時、地の利、人の和が必要だと言われます。

天の時とは、時勢・タイミング。
地の利とは、置かれた環境や立場。
人の和とは、人と人とのツナガリ、でしょう。

そして

 天時不如地利。地利不如人和。
 (天の時は地の利に如かず。 地の利は人の和に如かず。)

というように、何にも増して、
ツナガリがものをいいます。

ニッカの立ち上げの際の出資人を募る際にも、
帝塚山学院時代のリタ夫人の人脈が
生かされていたといいますし、
彼女の持つ誠実さや優しさ、ユーモアに
惹かれた帝塚山学院時代の女生徒も多かったそうです。

政孝とリタのツナガリが、苦しい時代を生き抜き、
事態の好転を招きこんだのでしょう。
そして、信頼が醸成された人脈が、
ある時勢と重なったとき、大きな力になって、
ウイスキー事業が立ち上がっていったわけです。

ニッカウヰスキーの創業者、
実は、竹鶴政孝と竹鶴リタの両名・・・・
と言っても、過言ではないのかもしれません。

続いて、政孝の品質に賭ける想い。

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Whisky LIVE! Tokyo 2011 ニッカセミナー編 ~ 学び ~

さて・・・続いては、セミナー編でありんす。
もちろん、ニッカは外しませんよ。

日本にウイスキーづくりを伝えた男、
竹鶴政孝のチャレンジ、はじまりはじまり!

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講師は、おなじみの久光哲司・チーフブレンダー。

P1190823

まず、はじめにハイボールで乾杯!
もちろん・・・竹鶴ハイボールさまです。

P1190831

そうだよね、そうだよね、
そうでなくっちゃね!かーんぱーい^^)/d□

P1190826

あちこちから、ハァ~(´・`)という、
ンマイなぁ・・というため息が漏れてくるのがいいですね!

今回のティスティングは・・・

・シングルモルト余市1990
・シングルモルト宮城峡1990
・シングルカフェモルト1994
・竹鶴21年

というラインアップ。

P1190789

特にね、シングルカフェモルト1994!
これ、一切市販してないんですよね。

かつて、シングルカフェモルト12年が、
ネット限定で売り出されましたが、
こちらはシングルカスクだったようで・・貴重。

ま、適宜ティスティングタイムがありますので、
それまでは、じっと我慢の子(笑)

さて、日本経済新聞の連載コラムの話から、
竹鶴政孝の話はスタートします。

「わたしの履歴書」という、著名人が
自らの半生を振り返る連載なのだそうですが、
竹鶴政孝は、こう振り返っているそうです。

・・・ウイスキー一筋に生きてきた。
その意味では、一行でかたづく男である。

そんなひたむきにウイスキーを求め続けた
政孝を「学び・恋愛・仕事・遊び」の4つの観点で
紹介する、という内容。

■学び

政孝が、摂津酒造社長・阿部喜兵衛の命を受け
単身スコットランドに渡ったのが、1918年(大正7年)。

誰一人外国人はおらず、ひとり学ぶ政孝。
一冊の洋書には、愚痴のようなものが残されています。

P1190840

進まぬウイスキーづくりの研修。
辛くて何度も枕を涙で濡らしたといいます。

実家の母から、志半ばで日本に帰るとは何事ですか、
スコットランドに帰りなさい、と諭される夢を
見ることもあったそうです。

政孝の生家・広島県竹原市にある竹鶴酒造。

P1190844

ここで、製塩業・酒造業を営む竹鶴敬次郎の三男として、
この世に生を受けたわけですが、その父・竹鶴敬次郎は、
酒造りには厳格な考えを持っていたそうで、

「酒はつくる人の心が移るものだ」

と常々、政孝に話していたそうです。
この考え方は、後のウイスキーへのひたむきさにも
つながっていくのでしょう。

酒造業には興味があった政孝は、大阪高等工業学校
(後の大阪大学工学部)醸造科に入学。
この大学時代に、洋酒に興味を抱きます。

やりたいことをやる、思ったら即行動!の政孝。
なんと、卒業を待たずして、
当時、洋酒のトップメーカーだった摂津酒造に
押しかけ、何とか採用してくれと頼み込んだのだそう。

その当時から、熱い漢だったわけです。
自ら後年を振り返って、青田買いならぬ、
「押しかけ青田売り」だったと呼んでいます(笑)

その熱いハートは入社しても変わらず、
先輩に煙たがられるほど、質問しまくり、
どんどんと知識を吸収。

いつしかその熱意とものづくりに対する
真摯な姿勢が、摂津酒造の阿部社長や
取引先の壽屋、後のサントリーの鳥井信治郎社長
の目にも留まり、信頼を勝ち取っていきます。

当時、摂津酒造は、壽屋(後のサントリー)が
販売する赤玉ポートワインの製造元だったんですね。

ウイスキーは、原酒は含まれていない、
イミテーションウイスキーしかない時代に、
ホンモノのウイスキーを造ろうということで、
阿部社長は、政孝をスコットランドに派遣することを決定。

造り酒屋を継いで欲しいという両親の希望も
あったそうですが、生涯ブレることのない信念、

 日本人に本物のウイスキーを飲んでもらいたい。

という気持ちが上回り、1918年にスコットランドへ。

P1190850

当時のパスポート。ずいぶん違います。
今のように、いろんな国々に多くの人が
行き交う時代ではないですから、貴重なもの・・
だったんでしょうねぇ。

当然、飛行機はありませんから船。
しかも、アメリカ経由でスコットランドに向かいます。
桑港(サンフランシスコ)行き天洋丸に。

スコットランドでツテのない政孝。
まずは、グラスゴー大学の聴講生として学ぶ日々。

P1190853

教授もいろいろと製造現場で学べるところを
探してくれるのですが、見つからず。

当時ウイスキーづくりにかけては随一と言われた
Joseph A. Nettleton博士を自ら訪ねるも、
高額の授業料を前に諦めます。

それでも、Nettleton博士の著書は、
スコットランドでの勉強の基礎になるものに
なったようですね・・

P1190855

そのあと、スコットランドに来て9ヶ月経った
ある日、ロングモーン蒸留所の1週間の体験実習を
取り付けることに成功したのでした。

ロングモーン蒸留所。
上が1919年、下が2009年の写真。

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次のボーネス蒸留所では、連続式蒸留器の
3週間の実習。

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朝から晩まで、隅から隅を回り、
技師たちに質問していくのですが、
鼓膜を破るような歯車の音に遮られ、
訛が激しく聞き取りにくい英語に苦労。

技師たちがいる前でスケッチもできず、
宿に帰って覚え書きをしていたとか・・・

最後の仕上げは、グラスゴー大学のツテで、
紹介してもらった、ヘーゼルバーン蒸留所。

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かの有名な、「竹鶴ノート」は、
このヘーゼルバーン蒸留所での実習の記録なんですね。

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よく複製品を見る機会があるのですが、
実に細かく、多岐にわたったレポートなんですよね・・・

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

しかし、どうでしょう。こんな熱意を持って、
たった一人で・・・われわれが普段、
熱意と呼んでるものなど、軽く吹き飛んでしまう、
そんな思いすらします。

まずはあれこれ考えてしまうことからはじめてしまう
わたしなのですが、やはり熱意に加え、
行動力が大事だよなぁ・・と思った次第。

ここでのティスティングは、余市1990。
いわゆる余市好きの方からは、ピーティさが足りない、
とちょっと物足りない意見が多いようですが。

ピーティなだけじゃない、また余市ならではの個性を
感じられる逸品だと思うんですよね・・・

お次は、恋愛の章。
リタ夫人との出会いと別れ・・です。

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