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特別講演・寛永度天守の魅力と実像 Part II その1。

すいません、しばらく更新がストップしておりました。

いわゆる、最近流行のこういうときに
「不謹慎」なのでは・・・というのでは決してなくて、
単純に書くための十分な時間が
取れなかった・・・というだけ。

さて、もう1ヶ月にもなりそうなので、
そろそろ再開しないと・・・いつまで経っても、
前に進めませんからね。

さて、少し時系列としては前後しますが、
2/23に開催された寛永度江戸城天守に関する講演会

P1200123

これ・・・城好きには、願ったり叶ったりの
講演会なんですよねぇ!

ご登壇されるのは、広島大学大学院の三浦正幸教授。
東大工学部をご卒業され、一級建築士の資格をお持ち・・・

ということは、城の歴史のみならず、構造面にも
非常にお詳しく、城の復元に多く関わってこられたそう。
日本の城郭研究の第一人者といってもいいのではないでしょうか?

実は、わたしも以前から三浦教授のHPを見ていて、
今はなき城たちの復元図を眺めながら、
ウハウハしてたわけで(笑)
# と、とくに豊臣大坂城・・・

前回、Part Iがあったそうなのですが、
それだけでは語りつくせない・・ということで、
めでたくPart IIの開催と相成ったそうで。

それでは、江戸城天守の魅力に迫る講演の始まり!

■寛永度天守、とは?

そう、寛永度って何?と思う方も多いかもしれません。
それなりの城マニアであるわたしは知っているのですが、
江戸城天守は3度建造されているんですね。

初代:慶長度天守(徳川家康)
二代:元和度天守(徳川秀忠)
三代:寛永度天守(徳川家光)

これらの天守を区別するために、建造された年号で
区別しているというわけ。今回の主人公である三代目天守は、
寛永15年(1638年)の建造とのこと。

ちなみに、江戸城を最初に築城した太田道灌の頃には、
天守などないので・・あしからず。
巨大天守のさきがけは、織田信長の安土城ですからね。


で。

江戸幕府の初期3人の将軍により、つくっては壊し、
またつくっては・・を3度繰り返しているのですよ・・・

そして、慶長度天守と元和度天守は、資料が非常に少なく、
大まかな姿は分かっても、詳細はほとんど分からず、
復元は難しいということ。

それに、両天守は現在残っている天守台の上ではなく、
それぞれ別の場所に別の天守台の上に建っていた、
ということから考えても、復元を考えたときには、
寛永度天守しか、ありえないということになるわけです。

■慶長になって初めて天守を建てた家康の真意。

さて、寛永度天守の話に入る前に、慶長度天守の話。
慶長年間・・というと、1596年~1614年。
ちょうど、豊臣政権末期から豊臣政権崩壊(大坂夏の陣)の頃。

一方、東海一の弓取りと言われた家康が、
小田原の北条氏滅亡後に、秀吉の命で関八州へ移封され、
江戸城に入城したのが、1590年。

つまり、慶長年間に入って初めて天守を築いたわけで、
豊臣政権下で五大老筆頭として座していた頃は
小規模な天守であっても、あえてつくらなかったというわけ。
三浦先生がおっしゃるには、ここに江戸城の価値がある、
というわけなんですね。

当時は、秀吉の大坂城が最も規模が大きく、
五大老の毛利輝元の広島城、宇喜多秀家の岡山城も、
大坂城よりは、ひとまわり小さい天守。

そして、形状やデザインも大坂城天守の特徴を
かなり受け継いでいるデザインだったりするわけです。
(わたしはこの豊臣系天守の方が、圧倒的に好きなんですが)

仮に家康が天守をつくろうとするならば、
同様の天守を立てざるを得なかっただろうし、
城のシンボルにもなる天守が、豊臣政権に屈服した
証になってしまう・・・

そしてなにより、毛利や宇喜多と同レベルに
見られるのが気に食わない!ということも
あったかもしれないんですね。

ある意味、天守を建てないということが
豊臣に完全に屈服してないというサインだったかも
しれないわけです。ただ、秀吉はそれには
ツッコミは入れなかったですがね。

■慶長度天守のデザインに隠された政治的な意味。

家康が江戸城入府して16年後の1606年。
ようやく天守の建造に取り掛かり、翌年に完成。

少ない資料のなかでも分かることとして、
屋根瓦が鉛瓦、壁も白漆喰総塗籠だったということが、
分かっているのだそうです。

鉛瓦・・・といえば、金沢城が鉛瓦。
こちらは2007年に金沢を訪れたときの石川門。

Kanazawa3

見て分かるとおり、瓦が白く輝き
とても美しいのですが、当時の豊臣大坂城は、
黒漆で下見板を塗り籠められた漆黒の城。
そして、黒漆の壁面には金箔を押した菊と桐の紋で
飾られていたというのです。

世界遺産にも指定されている京都・醍醐寺の三宝院唐門(国宝)が
その豊臣大坂城の壁面に近いらしく、昨年復元された
様子をみると、その豪華さがイメージできます。

で、一方の慶長度江戸城天守は、まばゆく白光りし、
そして、大坂城をはるかに超える巨大な天守。
なんでも、床面積は2倍、高さは1.5倍、体積は3~4倍、
と言いますから、まるで富士山のようだと言われたそうです。

明らかに、豊臣と対峙する徳川のイメージを
鮮明に打ち出し、新たな天下人・徳川将軍にふさわしく、
政治的な権威をモミュメントだったわけですね。

さらに、名古屋城や駿府城など、大坂城を超えるクラスの
天守をどんどんつくっていき、その後大坂冬の陣で豊臣家に
味方する大名家がいなかったことでも分かるように、
徳川家の権威を示すには、十分だったのでしょう。

・・・ということで、まだまだ続きます。

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コメント

更新待ち望んでおりました。

……早速、ウイスキー片手に拝見させていただいております。今宵はボウモアです。。。

投稿: kaiko | 2011.03.21 19:54

nikko81です。

●kaikoさん

更新したと思ったら、マニア過ぎる記事で
申し訳ありません・・・

ボウモア。いいですね。
ちなみに、成城石井限定のボウモアも
なかなか美味しいですよ。

http://seijoishiiblog.com/?eid=12673

投稿: nikko81 | 2011.03.23 23:20

こ、こんなものが!知りませんでした。
いつもながら勉強になります。

投稿: kaiko | 2011.03.24 06:21

nikko81です。

●kaikoさん

ちょっと若めの8年熟成だったはずです。
これはこれで美味しいと思います。

投稿: nikko81 | 2011.03.24 23:15

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