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特別講演・寛永度天守の魅力と実像 Part II その2。

さて、家康没後の話に参りましょうか。

■元和度天守と寛永度天守のとんでもない造替え。

家康が没すると、二代将軍秀忠は白い天守を
すっかり取り壊してしまい、北側に天守台をずらして、
天守を再建したそうで・・・これが元和度天守。

慶長度天守のあった場所は、ちょうど大奥ができるところ。
大奥御殿をつくるために、江ちゃんに
ちょっとアンタ、天守どかせてよ!と言われた秀忠くんが、
すごすご・・だったかどうかは別として、
まぁ、あっさり取り壊してつくりかえるわけ。

当時最も大きな天守の取り壊し、建て替えは
ものすごい労力と資金が必要だったしょうが・・・

さらに、秀忠没後、家光はまた取り壊して、
少し天守台をずらし、デザインもほぼ同じなんですね。
とてつもない財力を見せ付けたいのかなんなのか。

江戸城天守よりももっと規模が小さな姫路城が
戦後に解体修理の際も、ものすごい巨大プロジェクト
だったわけだし・・・

江戸時代中期の名古屋城の天守台石垣修理の際などは、
全部天守解体するお金がなくって、天守の一部だけを
解体して、どうにか石垣を積みなおしたそうですしねぇ・・・

■寛永度天守の短い命

家康が江戸入府してから16年後に慶長度天守創建。
そして、さらに16年後に元和度天守創建。
さらにさらに、16年後に寛永度天守創建・・と、
16年周期が続くのですが・・・

寛永度天守は創建後、19年後、明暦大火(振袖火事)と呼ばれる
江戸の大火事で、江戸城にまで延焼し、
寛永度天守はすっかりと焼失。

今は天守台が、皇居東御苑(元本丸)に残っているのみ、
なのですが、これは焼失後に新たに積み直されたもの。

当時の石を使ってるかもしれないけれど、
寛永度天守が建ってるころよりも、石垣が2m低いとか。

■寛永度天守の設計図のヒミツ。

寛永度天守は、建てた棟梁が描いたとされる
「縦地割図」が残されており、これを現代の設計図に
書き直せば、設計図はできるはず・・なのですが、
とんでもなくめんどくさく、大きすぎて
誰も手をつけてこなかったとか。

コンピュータ製図ができるからこそ、
設計図がなんとかできたようなもので、
ほんの15年ほど前は、手書きするしかなかったとか・・・
こんなところにも、IT技術の恩恵があるんだな、と感心。

「縦地割図」には、地下1階の穴蔵から地上5階までの
平面図だけではなく、破風や通し柱の位置、
壁を剥がした骨組みの様子、梁の太さや材質、
組む方法、窓の高さや位置までしっかり描かれ、
さらには、建築現場で何日に何をやったかという日記も
詳しく書かれている貴重な資料。

おそろしく緻密な資料なのに、全部手書き・・・
というところもすごいんです。棟梁や大工さんたちの
苦労が偲ばれますね・・・

携わった大工はのべ28万人。常時1,000人以上の大工で
建築工事をしたとのことですから、
ものすごい人海戦術というか、力技です。

仮に・・・人当たり日当25,000円とすると、
工事の人件費だけで約70億円にも上る計算・・・

しかも、穴蔵(地下1階)の柱を立ててから、
天守屋根の鯱を設置するまで、なんと3ヵ月半!

一般的に、この1/20程度の三重天守の
標準復元工期が2年~3年と言われているそうですから、
いかに将軍の権力をつかった大工事かが分かります。

■大きいことはいいことだ?

地下1Fは資料から溢れるほど大きいらしく、
この日の解説では、地上1Fから5Fまでを資料で解説。
天守内は外周が武者走りと呼ばれる廊下、
そして、内側にいくつも部屋が並んでいるという構造。

部屋の中は、すべて畳敷きだそうで、そもそも
天守の部屋は畳敷きが普通。姫路城のような現存天守でも、
今では畳はないのが普通なのだけど、
お金がないから取ってしまっただけ、なんですってね。

そして、驚愕すべきはその大きさ。
畳は、京間と江戸間など大きさが地方によって、
違ったりしますが、城は京間を使うのが一般的。

しかし、江戸城天守は一番大きな京間よりも更に大きな、
大京間と呼ばれる畳を使用。時代を遡れば、
織田信長の安土城天守、豊臣秀吉の大坂城天守、
徳川家康の名古屋城天守にも使われ、天下人が建てる城で
使われる大京間畳は、それだけでも天下人の証だったんですね。

また、ひとつひとつの部屋の大きさもハンパない。
このような大きな畳の部屋が18畳敷が8部屋、
24畳敷も8部屋という圧倒的な部屋数と広さ・・・

室町時代の書院造では18畳間が最大の部屋として、
1つあるのが通例だそうですが・・

そして、1Fフロア全体が18間×16間と
日本の天守最大。江戸城の場合1間=7尺換算ですから、
約38m×34mのフロアということになります。

ということで、とにかく「大きい」ことに
こだわりぬいた天守、ということがわかりますね!

さらに、これ以上大きな天守って
つくれないそうなんです・・・というところは
次の記事で。

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