ソーシャルメディア戦国時代に寄せて。
先だっての「blogの役割」に続いてしまいますが、
なんかこういう感じのネタが多くって、
ついつい、書きたくなってしまいますね・・・っと。
■コミュニケーション、目的?手段?
アメリカの話。Facebookがインフラだとかで・・・
(全文を読むには日経ビジネスオンラインに要登録)
で、次に面白いものは何なの、とFacebookを
追撃するサービスが続々出てきていて。
あー・・・そうですかと思った自分は、
いつの間にか、守旧派になってしまったのだろうか?
いやいや、そんなことはない。
ソーシャルメディアって、自分にあったものを
使えばいいだけなんじゃないだろうか。
新しいツールを求めてばかりで、肝心の中身はどうか。
たとえていうなら、ルールがコロコロ変わる
スポーツのような感じで、次から次へと
ソーシャルメディアに飛びついていては、
コンテンツ自体がブラッシュアップしていかない気がする。
や。
前回書いたようにTwitterもそうなんだけど、
ソーシャルメディアには、コミュニケーションを求めてるんだ、
というなら、それはそれでいいけどさ。
> 誰かとつながっていたい。その欲求は
> どこまでも広がっていく。
つながりたい欲求がどこまでも広がる・・
悪いけど、そんなことほとんど想像できない。
つながりやすくなったことは、自分の生活に
大きくプラスに働いたと思うよ。間違いなく。
でも、それが目的化するような感覚はどうしても
持ち得ないんだよね。だからblog以降の
ソーシャルメディアに対し、基本待ちの姿勢なんだろう。
実は、自分でもよく思うのだが、
さびしさ感に疎い人間。疎すぎるくらいかもしれない。
つながる欲求の強さよりも、自分の中であふれ出す
知的関心のほうがはるかに強い。
その追求の過程で、人とのツナガリを求める。
ま、ツナガルことが暗黙の圧力のように
ならなきゃいいかな。ツナガリ方は流行りじゃなくて、
自分のポリシーで選びたいからね。
■・・・普通の人には難しすぎる、のか?
あんまり知りもしないのに、揚げ足を取るのは
如何なものか・・なんだけどさ。
なんだってさ。
これ、blogのときも言われてた気がするんだけどね。
ホームページをつくるなんて、
普通の人には難しすぎる・・・・と。
時代は繰り返すのかなぁ。
> 普通の人たちがあれを使いこなせるとは思えなかった。
> パソコンの前に1時間座って
> 記事をアップするには覚悟がいる。
何を以って、「普通」とするかはさておき、
blogの黎明期なら、1時間もすれば、
記事が書けるなんて、なんてラクなんだ、
と紹介されたことだろうねぇ・・・・
言葉によらないもの?冗談じゃない。
どれだけ写真がキレイであろうとも、
どれだけ動画が面白かろうと、
ことばによる表現、思いの丈を表現することが
楽しくてしょうがないんだよね。
写真も動画もサブ。理解や記憶、その場の
感覚を助けるものでしかないからさ。
もちろん、自分にとっては、のこと。
写真や動画で「表現」するほうが、
はるかにスキルがいると思うんだけども、
ま、もちろんいろんな表現も
あってもいいわけだけど。
ことばって、ハードル高い?そう?そうなの?
姉さんの血を受け継ぐわたしには、
なかなか理解しがたいものがありますな・・・
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つながりたいひと、写真で表現したいひと。
自分がそうじゃないだけで、あってはイイと思うんだけど、
それぞれがね、共存してくれればいいんだよね。
新しいとか古いとか、そういうものさしで測った
流行り廃りに左右されなければイイ。
これからは、コレだ的な臭いを感じるから、
ちょっと斜に構えて眺めてる、という面も
あるかもしれないかな。
わたし?もちろん、アマチュアはその身の丈に
応じたことばの世界をこれからも、
生きていきますよ。





















































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