東北・北海道縦断大作戦・八戸編1。
ホントは、盛岡と八戸の間の三戸にも
立ち寄りたいんだけど、コインロッカーがないってな
ことだったんで、先に八戸から。
八戸には、2つの城がかつてあった。
北畠顕家に従って甲斐から来たという
南部師行(なんぶ・もろゆき)が
陸奥支配の"根”の城とした、根城(ねじょう)。
もうひとつは、藩政時代に盛岡南部家から分かれて、
八戸藩が立藩された際の八戸城。
前者は、発掘調査が行われて、中世の城郭が復元。
茨城の逆井城、山梨の躑躅が崎館(風林火山館)、
愛知の足助城など、中世城郭として復元したものは、
数が限られ、なかなか貴重なのです。
後者は、城址が三八城公園(みやぎこうえん)に。
あまり城郭遺構はないものの、近くに角御殿表門が現存。
ということで、すでに日が傾きかかってますが、
根城址、八戸市博物館・角御殿表門を一気に!
●根城
入り口には、旧八戸城東門。なんでここに?
という話だけど、元々根城の門で、八戸城に移されたとか。
出戻り、ってことですね。
裏から。西日っぷりが半端じゃないですね^^;
通路跡。元々掘りだったところを当時すでに埋め立て、
通路として使っていたことが分かってるそうで。
これは何の復元?と思ったら、タダの休憩所。
金属製の根城復元模型。一応、有料区域に入らなくても、
どんな建物が建っていたかの想像はできそう。
いよいよ、有料区域。シラカンバでできた城柵を進み、
東門から本丸へ入城。
当時の想像図。水堀はほぼなく土塁を固めて
各曲輪(くるわ)ごとにキレイに分割されてる感じ。
南部氏勢力図。実は北東北のほとんどが、
南部氏の勢力範囲。
津軽藩を開いた大浦為信(津軽為信)は、
豊臣秀吉に南部信直より先んじ、領有を認められたため、
南部氏の勢力範囲が削られてしまい、
津軽と南部、江戸時代を通じて犬猿の仲だった、
ということは有名な話。
主殿の見学。主殿は後世の本丸御殿に連なる
君主の居殿のことをいう。逆光であちゃーの図。
正月の儀式の最中だとか。
食事は、極めて質素。
赤糸威鎧(あかいとおどしのよろい)写真。
本物は櫛引八幡宮にあるのだけど、時間の都合でパス。
武田家の楯無鎧(たてなしのよろい)同様、
平安末期~鎌倉期の大鎧で、国宝。
こちらも国宝の白糸威鎧(しろいとおどしのよろい)。
こういった甲冑が伝わるのは、甲斐武田の流れを汲む
南部家ならではかもしれないですね。
主殿近くの竪穴式建造物。
武具の修理をする工房で左手が防具(鎧・兜)、
右手が武器(弓・矢など)。
なかなかキレイに撮れずにうむむーという感じだが、
展示内容はいろいろ興味深いところ。
とはいえ、時間もあまりないので、
博物館がしまってしまわない間に早く戻ろ。
●八戸市博物館
博物館では、主殿復元のもう1つの復元案の模型や…
ジオラマチックに仕立てた根城模型。
旗指物の紋が割菱だとどうしても、武田信玄のイメージ…
江戸時代につくられた八戸城の模型もあり。
あまり広くない敷地に建物が連なって、
キュウキュウに詰め込まれた感じ(笑)
二層になっているのは奥の建物くらいで、
ほとんどが一層の御殿。
島津家からの嫁入り道具でしょうか?
鼻の穴、でか!
ちょっと、八戸長くなったので切ります。
博物館を出て、本八戸方面。
八戸城址、八戸城角御殿表門まで。
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