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武田信玄からの手紙。

こちらのblogで気になっていた冊子、
「武田信玄からの手紙」。

P1050556

山梨県立博物館監修の64ページの小冊子。
戦場、ライバル、家族、家臣の4つの側面から、
信玄自身が筆を執った書状を紹介。

「戦場」では彼の情報戦の巧妙さを感じ取れる。
自分の行動と逆の情報を流して油断させ、
その虚を突いて、一気に城を落としている。

一方で、神社に願文を捧げ、その戦況の吉凶を
占わせたといい、古くからの慣習も重んじていた、
と書いてあるんだけど、そうかな?と思った。

というのも、信玄自身がかなり信心深いこともあるけど、
その当時では、神託があれば末端の兵士まで、
神のご加護があると思って士気が上がっただろうし、
そういった活用法を見越して、
占いをしていたんじゃないかという気がするね。

「ライバル」では、徳川家康に対する書状。
信玄の外交力の強さというか、駆け引きが上手いのが
わかる格好の資料。

「家族」では、けっこう有名な資料だけど、
北条氏政室となった娘・黄梅院の安産を祈願する願文。

解説文によれば、後年八王子に居した松姫
病気回復を祈願した願文もあるそうだ。

他に次男・龍宝が疱瘡(天然痘)に罹った際、
両目とも見えなくなったら、自分の右目を以って、
龍宝の右目と交換してほしい、と訴えている。

結果的に片目で失うに留まり、僧籍に入ったわけだが、
陣中から手紙を出し、甲府を空けている間、
さぞかし不自由なことだろうと気にかけている。

後に、武田家が滅亡した後も、龍宝は生き残り、
現代に信玄の血脈を伝えている。

信玄というと、父・信虎の追放や、
長男・義信との対立から家族に対する
冷たいイメージがあるかもしれないけど。

しかし、家族とはいえ、武田軍団の構成員であり、
政治的に処断するときは、冷酷に実行している。
泣いて馬謖を斬るようなものだろう。

しかし、そういういざこざがあったからこそ
かもしれないが、人一倍家族に対する情愛は深いもの
だったのだろうな、と思わせられる。

最後に「家臣」。

現代語訳の雰囲気によるのかもしれないけど、
すごく部下への心配りが細やか。

この時代の上下関係は、下剋上の世であって、
今の上司部下などとは程遠い厳しいもの。

つらいことはよくよく承知しているが、
辛いのはお前だけじゃないのも分かってくれ、などと
家臣の気持ちを汲もうとしているところに、
信玄の信玄たる真髄を見たような気がする。

短い内容だったけど、すごく良かった。

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