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九州城廻~天草編~

さて、いよいよ最終日。

天草下島北端の苓北町。天草・島原の乱で
天草一揆軍の猛攻にさらされた、富岡城のあった地。

当時は唐津藩領だったが、富岡城代の三宅重利が
戦死するも、堅固な地形のためもあって、
なんとか撃退したというそれなりに堅固な城。
# 余談だがこの三宅重利って人、明智光秀の
# 家臣筋の人らしいですね。

Wikipediaの航空写真を見ても分かるが、
かなり攻めにくい天然の要害。

理由は後で書くけど、1670年に破却され、
天草代官所が置かれて、明治まで続く。

その後ごく最近になって、破却された石垣の
積み直しが行われ、2005年には櫓を復元。
富岡ビジターセンターとして、開館する。

まぁ…数々の城を訪れたが、
1,2を争うほどの交通の悪さ。

今回は三角までは電車でいったけど、
熊本~本渡バスセンターまで約2時間20分、
そこからバスを乗り換え、富岡港まで約1時間強。
もちろん、バスの乗り換え時間とか考えたら…

熊本から行くんじゃなくて、長崎から行って、
長崎に戻るのが一番近そうな感じ。

だけど、引き返すってのが性に合わない(笑)ので、
ムリヤリ熊本から行って、長崎に出たわけ。

あれが、富岡城。なかなかの見栄えです。
ちょっと普通の感覚じゃ苦労に見合わないかも、
だけど個人的にはおっけー。

P1120980

手前には袋池という池があり、天然の堀をなしている。

P1120998

おっと、忘れずマンホール。
これは貴重かもな~苓北町マンホ。

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石を切り出した後が幾何学模様というか、
なんだかキレイな模様のようにも。
ここの石も富岡城の石垣修復に使われたのか、
それとも…とにかく人為的に切り出された感じ。

P1130024

山道を1.5kmほど歩いていくと、
石垣が見えてくる。

P1130028

石が新しく見えるのは、ほとんど積み直された
新しい石垣と見て間違いないだろう。

こちらの石垣なんかを見てみると、
下のほうは黒っぽく、元の当初からの石垣?

P1130030

二の丸から本丸の櫓群を眺めてみる。
なかなかよく整備されていて、
城好きにはうれしいが、訪れる人はまばらな気も…

P1130033

公式ページには年間35,000人の来館者…とあるが、
単純計算で1日100人は入っていないといけない計算。
でも、土日でこれだとちょっと心配。

でも、建造物の建っていないところでも、
よくここまで石垣を復元したなぁと思わせられる。

P1130051

島原の乱で一揆勢が原城址に籠城したことで、
破却するときは徹底的に破壊するという風潮が
あったんだろうねぇ。地理的にも近いし。

二の丸下から本丸を見上げる。
ここまで来ると、全くの新規で築城したら、
こんな風になるんだろうなぁとある意味、貴重な姿。

P1130060

城郭建造物を再建することはあっても、
石垣から作り直すのって、まずないだろうからね。

二の丸には4対の銅像。
内2体は、乱後の天草の復興に大きな影響を残した
鈴木正三・鈴木重成兄弟。

P1130039

櫓内にも、歴史の解説があったのだけど…
これがすごいためになった。
いやいや、まだまだ知らないことが多いなぁ。

(ここから歴史ウンチク長いです)
そもそも、天草・島原の乱の主要因は、
年貢の取りすぎという極めて分かりやすいであり、
キリスト教徒による宗教戦争という側面は、
2次的なものであるということ。

確かにキリスト教弾圧は熾烈を極めたというが、
土地が痩せている天草の石高(生産性)の判定が
実際の生産量と乖離していたのが原因みたい。

同じことは、島原にも言えたようだが、
当の各藩主はそれを認めず、あくまでキリスト教徒の
反乱と位置づけたのが、今日の一般的な認識。

生産力もないのに、年貢だけごっそり持っていかれて…
窮鼠猫を噛むといった状況だったのだろう。

そこで、乱後天草の統治にあたったのが、
徳川譜代の旗本である鈴木兄弟。
現在の豊田市則定町の生まれというから、
徳川の故地松平町にほど近い。

出家した兄は仏教教化をすすめ、
代官の弟は、死を賭して石高半減を幕府に嘆願。

再三の嘆願も幕府に聞き入れられず、諫言の切腹。
その後、甥の重辰の頃にようやく認められ、
ここに天草の乱の遠因が収められたわけだ。
そりゃ、天草の恩人ともなりますわねぇ。

しかし、誤った政策の是正に何十年もの歳月と
数多の犠牲を強いた…悲しい歴史ではある。

ちなみに誤った課税を推し進めた唐津藩の寺沢家は、
天草の失政の責任を問われ、天草を没収、
精神的に追い詰められた後自害、
寺沢家は改易されてしまった。
(歴史ウンチクここで終了)

P1130037

あとの2体は、かつてここを訪れたという、
幕末の有名人、勝海舟と頼山陽。

さて、本丸のほうへ。高麗門。

P1130072

瓦と瓦の漆喰が多めで白黒のコントラストが
なかなか美しいですね。

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江戸期の絵図しかないため、櫓の位置や寸法は
ある程度わかっても外観は想定とならざるを得ないが、
それは致し方ないだろうな、この場合。

櫓から眺める富岡湾。
同じく海が眺められる平戸城を想起させる。

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ビジターセンター館内は、あまり富岡城と
関係あるものは少なく、主に天草の自然の話。
天草の海を3D映像で見たりとか。

貝殻で作ったオブジェ。
けっこういい感じでしたよ。

P1130102

実は、富岡城は鈴木兄弟の時代を経て、
三河国田原城主の戸田氏の時代に、
天草は天領たるべきとして、城を破却する。

城の維持費が領民を圧迫するということもあり、
仕方のないことだったんでしょうねぇ。
なにせ、半減された石高で21,000石。
普通じゃ、城持ち大名にゃなれんでしょ。

さて、城山を降り、長崎行きの船に乗ります。

富岡港前の意味不明の塀。なぜか徳川葵。うむむ?
しかも、狭間にしてはデカくないか?
向こうから丸見えではないかい?

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船が出る前の間、待合所そばにある
珈琲工房麟泉ふれあいぽーとさんで、
コーヒーとピザを頂き。
身体の不自由な方の就労サポート施設の運営。

ピザは新作という明太じゃがいも。
いや、期待以上に美味かったです。
満足。650円。

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さて、そろそろ船出の時間ですよ。
船から見えるのは、県立苓洋高校の実習船熊本丸。
遠くに富岡城も見えますねー

P1130130

出航してしばらくは砂嘴に沿って船が進み、
船上からも富岡城の姿が見えます。

P1130141

今はこうして暢気に見てられるけど、
当時の城があった頃は…と思うと複雑ですが。

さて、このまま船は長崎市の茂木港へ。
長崎市内に向かいます。

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