九州城廻~福岡編その1~
さて、ここからは九州行きの話。
そもそもは、福岡城の下の橋大手門復元の話を聞き、
それを見ておきたいなというのと、
熊本城本丸御殿の完成を知ってはいたものの、
行けずにいたので、それもあわせて。
なおかつ、福岡城資料室なるところがあると知り、
平日しかやってないということなので、
あえて、平日に福岡を訪れることにしたんですね。
しっかり予定を詰め込んでるので、
飛行機もなんと、羽田6:20発!
案の定、飛行機の中では爆睡、
いつ着陸したのかもわかんないくらい^^;
さて、福岡空港到着後、一路大濠公園駅へ。
福岡って何がいいかって、空港と市街地のアクセスが
すごーくいいこと。福岡空港から博多まで、
地下鉄で2駅ですからね。
逆に、福岡にお住まいの方は、
気が気でないのかもしれませんが…
ちょうど訪れた11/14はノーマイカーデー。
大阪ではおなじみでしたが、福岡にもあるですね。
地球が泣いてます。。。
大濠公園から下の橋大手門。
こちらが完成した大手門です。
立派な櫓門、九州一の大大名にふさわしい風格。
バックの櫓は伝・潮見櫓といわれていたが、
近年、違うことが判明。本丸裏御門脇の
古時打櫓という説があるらしい。
瓦の紋は…黒田の三ツ藤でしょうか?
ちょっと違う気もするけど…
さっき逆光なので、反対側(内側)から。
櫓はいいのですが、土塀がハリボテなのが、
見事にバレバレです…そりゃねえよorz
古時打櫓(?)
下の橋大手門が復元されたことで、
城っぽい感じはよく出ているのですが、
やはり元あった場所に戻してほしいなぁ、
というのが率直な感想。
本当の潮見櫓は、解体保存中とかで、
この潮見櫓の整備も計画にあったのだが、
下の橋大手門の2000年の火災による
一部焼損を受けて、こちらの修繕を優先。
ということは、いずれ実行されるんですかね?
<福岡市教育委員会様
で、門のほうに戻るが、あくまで一部焼損なので、
利用できる古木材はそのまま利用。
したがって、県文化財としての指定はそのまま。
修理するに当たり、明治期に解体された二層目を、
長く一層のままだったのだが、焼損の修理を機に、
二層櫓門として復元されることになったのだが…
復元に当たっては、上の橋大手門の古写真を
参考にしたようだが、細部で喧々諤々の議論があり、
専門家の間ではなお、批判があるところ。
詳しくは、九州大学大学院比較社会文化研究院教授の
服部英雄氏の論文を参照。
確かに、内より外のほうが窓の数が少ない、
石落としがないなど、不自然ではあるよな。
素人がああだこうだとは安易にいえないけれど、
歴史的建造物の復元の難しさを感じます。
参考にされた上の橋大手門。
江戸時代は、上の橋大手門から入城できる家臣と
下の橋大手門から入城できる家臣では差があったようで、
江戸時代の文献には、下の橋「大手門」という、
表記はないそうです。。。
ちょっと薀蓄が過ぎたが、本丸へも行ってみましょ。
残念ながら、紅葉はさっぱり。
今頃であれば、若干は色づいてるでしょうかねぇ…
12月に入ってからかなぁ。
二の丸南隅櫓と多聞櫓。
唯一、移築・再移築せず同じ位置で現存する櫓。
国重要文化財。
南丸の北端には、北隅櫓。こちらは復元。
多聞櫓ときっちりマッチしてます。
木造なんでしょうかね?
祈念櫓。一度大きく改変されているため、
なんだかすごく奇妙だけど、元は白漆喰の壁。
寺院に払い下げされたときに改築。
祈念櫓そばが、一番紅葉してたかなぁ。
ホント、ここくらいのもんでしたよ。
一応、天守台にも。
ここに限らず、石垣の勾配は結構平坦。
急に垂直近くなる熊本城の武者返しとは対照的。
天守台からの眺め。
左隅くらいでしょ、紅葉してるの。
福岡城址を後にし、福岡城資料室。
ここ、どうして平日かというと、
しんわという事業者金融(以前は消費者金融も)の
会社の私設資料室だからなんですよね。
江戸期の福岡城・博多の地図。
実は、博多は江戸期以前から栄えていた商人の町。
その真隣に、黒田長政が入り江を堰きとめて、
筑前国那珂郡警固村福崎に築城したのが福岡城。
このとき黒田家の祖先の地である、
備前国邑久郡福岡(現・岡山県瀬戸内市長船町福岡)の名から、
新城を「福岡城」としたことから、福岡の地名が興る。
ちょうど、今の天神あたりが外郭の東端。
西の大堀はそのまま今の大濠公園ですね。
模型。すごく精巧で見ごたえ十分。
今で言うと、七隈線桜坂駅あたり上空から、
福岡城を見るとこんな感じ。
さすがといわせるほどの広い城域。
細かくてこの写真では見えないけど、
築城が得意な黒田如水だけに、縄張りもよく、
隣国・熊本城主の加藤清正からもさすがと賛辞が。
とはいえ、大坂城を凌ぐってのはどうなの?
以前から、福岡城には天守がそもそもなかった、
といわれてきたけど、近年天守は造られはした、
という考え方になってきている。
Wikipediaによれば、徳川氏の大坂城普請に駆り出された際に、
天守を解体して資材を提供したのでは、という説も浮上。
で、この資料室ではもし天守があったら、
ということで想定CGを見ることができたが…
すごく広島城に近い、織豊系の城。
絵図や資料がない以上、こう想定するしかないんだろうなぁ。
デザイン的にはすごく好みなんだけど、
歴史的な裏打ちはやはり怪しい気がします。
模型にもあくまで"if"のものとして、
白色で再現されてあります。
さて、そろそろいい時間。
お昼に向けて、中洲へ移動です。
途中、赤煉瓦文化館へ寄り道。
逆行で撮りづらかった…
これも、東京駅や大阪中之島公会堂のような、
好みな煉瓦建築。いいですねぇ。
真横が水鏡神社の参道。
煉瓦の洋館と石造りの鳥居。
和洋のセットも、まぁよいのでは?
寄り道はこれくらいにして、「なぎの木 西中洲」。
あやのすけさんに教えてもらったお店です。
美味い和食がちょっとずつ頂けました。
とろとろ豆腐と明太子が特に美味かった。
これだけじゃちょっと物足りない?
ということで、ランチサイズのモツ鍋。
いろんな味付けから選べるのですが、
ポン酢ってのがあり、こちらをオーダー。
ポン酢で食べるモツ鍋、初めてでした!
すごくさっぱりして食べられ、こちらも美味。
やはり、美食のあやのすけさんのblogを
参考した甲斐がありましたよ。
ありがとうございました。
さて、このあとは、西鉄線・甘木鉄道を経由して、
福岡藩の支藩、秋月へ。
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平和台へは何度も足を運び、大濠公園もよく行くスポットですが、城址は全く、、、。
復元の話もこちらのブログで知ったくらい!
桜の時期はこの界隈は賑わうのですが、紅葉もあったんだあ!!
って、本当のところ地元民はなかなか観光地へは足が向かないものなんです(笑)
春になったら花見もかねて行ってみなくては!
なぎの木、気に入っていただいて♪です。
お昼にもつ鍋ってのがこちらのポイントだと思います。
投稿: あやのすけ | 2008.11.23 23:24
nikko81です。
●あやのすけさん
ぜひ、何かのついででも行ってみてください。
あまり建物も少ないですが、九州随一の名城ですから。
どうしても、建造物が豊富な熊本城が目立ちますけどね。
なぎの木、Goodでしたっ♪
お昼にもつ鍋って、良いですね~
いい情報、ありがとうございました。
投稿: nikko81 | 2008.11.24 01:54