湖に浮かぶ城。
さて、関西に戻ってから、
一路滋賀へ向かい大津市歴史博物館へ。
残念ながら、膳所城模型があるのだが撮影できず、
絵葉書もないため、リンクでご勘弁。
膳所(ぜぜ)とは、なかなか読めない名だが、
平安時代に魚介類を朝廷の食膳に供するところ、
という意味だそう。
琵琶湖に突き出た本丸に天守は、
瀬田の唐橋、唐金擬宝珠、水に映るは膳所の城、
と唄になるほど、すばらしい景観だったそうな。
しかし、当の膳所藩にとっては、2度の地震(1662年/1707年)で
大規模な損壊を受けるだけではなく、毎日の琵琶湖の波で
石垣が常に朽ちていき、そのメンテナンス費用が重くのしかかった。
幕末、膳所藩が我先にと版籍を奉還したのは、
その財政難も一因にあるとかないとか。
博物館をでたあとは、城跡公園へ。
往時と比べると、かなり埋め立てられてしまっているが、
本丸の湖に突き出た一部が、まだ残っている。
京阪・膳所本町駅から歩いて膳所城址公園に向かう。
まず、マンホールゲットね♪
ちょっと斜めになってしまったが、
膳所神社の門。膳所城城門の移築という。
まっすぐ歩いていくと公園前。
ここにも城門があるが、こちらは後世の作。
きちんと本多家の本多立ち葵。
かどには、城郭風の建物。
中途半端に城郭風だとこうも怪しく思えるのは、
どうしてだろうかね?
公園の景観はいいですが、
まったく城的な雰囲気ないな…
天守台。
今では、その天守台という面影はないが…
まだ8月(このとき8/15)なのに、
一部が色づいてんですけど…季節感めちゃくちゃだよ…
湖つたいに歩いていくと、櫓が!
…と思ったら、膳所浄水場の建物でした。櫓っぽいだけ。
でも、なかなか景観はいいですけどね。
さて、公園を巡ったあとは、駅まで引き返し、
山手のほうへ上っていく。
茶臼山公園には、移築された本丸隅櫓があるそうで、
芭蕉会館という俳人の会合に使われているとか。
でもね、それがね…
回りが記に覆われてぜーんぜんみえません。
近づいてみても、ほんとに櫓?
と訝しく思ってしまうような民家風。
唯一、千鳥破風が櫓の雰囲気を出しているかな?
ただ、櫓ということを無視した増築とかあるし、
なんか使ってんのかつかってないのか、
ほったらかし感たっぷりなんですけど…
…もうちょっと大切にしてほしいものです。
さて、次は水口城。琵琶湖線草津まで戻り、
草津線、近江鉄道線を乗り継いで、水口城南駅。
途中、京阪唐橋前駅で「松喜屋」で焼肉丼をゲット。
明治時代に近江牛の名前を広めたという老舗中の老舗だそうです。
…美味すぎる。寄ってってよかった。
てか、ムーンライトで大阪に来るときも多いんだから、
時間があるときには、また寄りたいですねぇ。
さて、水口城ですが、べちゃらーい感じの櫓。
名古屋城の清洲櫓のような感じかな。
入り口。なかなか城っぽい感じがよく出てます。
よくあるカラーリングですが、なかなかよくできています。
カタチはよく整っていて、好感持てます。
よくできている、と言ったのは、
実はこの場所には、櫓はなかったんですよね。
模型を見れば、一目瞭然。
そう、このちょこっと出ているところが、
城跡として残っている部分で、
肝心の本丸は、グランドになっちゃってんですよね。
帰りに、マンホールをゲットをしっかり。
近江鉄道と草津線の乗換駅、貴生川駅で。
なにやら、ICOCAをタッチする改札口のようにもみえるが…
こんなところに置いてあって、何に使うんだろう??
さて、今回の城廻りはここまで。
いやー、よく移動したなぁ。
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