鹿児島まで足を伸ばして。
予定にはなかったのだが、急きょ鹿児島行き。
もちろん、せっかくなんで九州新幹線「つばめ」に乗ってきました。
つばめでは、日・英・韓・中の4ヶ国語で案内。
飛行機みたいに運転席から運転手挨拶したりなど、
なんか飛行機を意識してるなぁ、と感じ。
車体は東海道新幹線などと同じような、
シャープな感じなのだが。
ロゴがいいですね。ひらがななのにどこか力強い。
車内はとても和のテイストが利いた空間。
東海道や東北新幹線よりずっといい落ち着ける雰囲気。
すだれの向こうは…
洗面台でした。
電話前にも暖簾。
あと座席でうれしいのが、先頭席だけだが
PCが使えるコンセントも完備。
あとこれで、ワイヤレスLANがあれば…
鹿児島中央に着くと、「鹿児島スイッチ」の看板を発見。
そういや、こにたんは鹿児島(薩摩川内市)の出身でしたね。
鹿児島にも市電があるんだなぁ。
「鹿児島市-ナポリ市」って…そんなに長い距離を!?
…そんなわけありません(笑)
鹿児島市とナポリ市は姉妹都市なのです。
当然ながら(苦笑)、鶴丸城跡へ。
今では、黎明館という博物館が跡地に建ってます。
途中、鹿児島ならではのものを。
桜島の火山灰の集積場。
やっぱりよく積もるんだろうか。
で、西郷隆盛像。
顔はきりっとしてますが、
顔の大きさがトミーズ雅ばりにでかいなぁ。
で、鶴丸城大手門前。
城跡の碑の字は立派な字が多い。
このフォントもいいなぁ、と。
門跡の堀周辺が蓮だらけなんですけど。
往時はこんな櫓門があったようです。
あれば、見ごたえあったでしょうね。
ていうか、建ててみない?
黎明館のチケットに鶴丸城模型の写真。
実物は撮禁でした…
表石高77万石の大名家にしては、質素というか小ぶりな城。
いくら外城制度で領内に、外城をいくつも持ってたとはいえ、
シラス台地で形成される薩摩の地は、あまり肥沃ではなく、
米の収穫が少なく、財政的には余裕がなかったのだろうな。
裏山に戦時の砦を持ってるあたり、構造的にも中世の城に
近い構造をしている。
黎明館でさつまいもをつかったアイスを食べて一服。
さつまいもを使ったアイスがさつまいもをくりぬいて
造った中に入れてある面白い一品。
一服したあとには、黎明館内へ。
ただ、鶴丸城そのものの情報は少なく、
島津家の歴史や幕末関係の情報が多いな。
しかし、鎌倉時代に武士の世の中になって、
江戸時代末に武士の世の中が終わるまで、
武士の時代を生きながらえた家柄はきわめて少なく、
島津家はその代表格。すごいというか、しぶといというか。
さて、裏山にも回ってみようとし。
黎明館前に猫。
警戒して逃げ出そうとする足取りなクセに、
あくびをするなんとも器用なヤツだ。
裏山はほんとに山というか小高い丘。
山道を登って歩いていく。
初期の頃には、戦国島津最強の4兄弟
(島津義久、義弘、歳久、家久)のうち、歳久の孫である、
島津常久が城代となっていたが、彼の1代のみで、
任命されて居住していたが、以後は使われず。
展望台に行くまでのベンチ&テーブルにまた猫。
今度は黒猫。しばらくずっとこっちを見ていた。
展望台からは桜島が見えるはず…ってみえへんし!
あ、ちょいとみえてきたよ♪
で、展望台付近にも猫三匹。多いな。
あと、よくある顔の部分に自分の顔をいれて、
記念写真を撮るヤツ。
西郷隆盛は、まぁ当然として。
なんでピッカピカの1年生?理解不能(笑)
帰り際の石垣。恐らく並びから言って後世のもので、
城とは直接関係ないだろうが、逆にその並びの均一さと、
苔の覆いっぷりから、抹茶味の生チョコに
見えて仕方がなかった(苦笑)
あと、マンホールもゲット。
シンプルに島津十文字ですね。
鹿児島中央駅から少し歩いたところにある、
太陽ヘルスセンターで温泉。
太陽ヘルスセンターdeダイエット、という案内。
…10時~15時、ビリーばっかりやん。ビリー恐るべし(笑)
さて、次の日はまた九州北部に戻り、
高速船を使って対馬に渡ります!
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