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What or How?

すっごい長い記事です。あしからず。

何度も何度も読んで考えていたんだけれども。
「好きを貫く」ことと企業で働くこと。

この元記事については、いろいろ賛否両論があって、
この条件に当てはまってるから大企業向きとか、
それは違うんじゃないかと。

だけど、殊自分の身の上を考えると、
自分のできることとできないことと
目指すべきところは何なんだを考えるとき、
いい示唆を与えてくれている。

やっぱり、自分の仕事を楽しむ基本は、

 What=どんな仕事をするか

であって、

 How=どのように課題を解決するか

ではない。だからこそ、仕事が変わったときに
あれこれ逡巡していたわけだ。

しかし、入社時にはなかった(わからなかった)ことが
クリアになってきたのも確かである。

それは、与えられた環境とルールの中で
目標を目指す(ここでいうHow的環境)ということに
一定の耐性があるという発見と、
自分の中で依拠できるバックボーンが付きつつある、
というレベルアップの2点だ。

まず、Howへの耐性。

企業に入るに当たって、何がしたいんだという
Whatから入っていったために、
これはやりたかったことではない
という環境の変化は、かなり動揺するできごとだった。

しかし、やってもいないのにそこから逃げるのは
癪に障るということで、受け入れることにしたわけだが、
なんだかんだといって、結局できてはいる。

むしろ、全然畑違いからやってきたのに、
「~な割りには」というより、
「むしろこっちのほうが」というムードになってきて、
それはそれで辟易するくらいに。

一番重要なことは、こんなのは本位じゃないだ!
と評価されているのに、妙に突っ張ったりとか、
かといって、無気力になり続けたりするわけでもなく
(一時的にはあるし、結構頻繁になるが)、
一方で完全に染まりきっているわけでもない、
というすごく器用な状態を続けられていることだ。

これは、結構な発見だった。
耐えられるだろうけど、どうやってそのストレスを
処理するのだろうかと思っていたんだけど、
なんか適当に飄々とストレスをスルーしているような。

ちょっと本筋から脱線するが、
こうしてうまく立ち回れているからいいものの、
今思えば、How的環境は多くの企業で
活動の基本であるような気がしていて、
就職活動に当たって、「好きを見つける」ことが
本当に大切なことなんだろうか、と思う。

むしろ、好きがあるからこそ、悩んでしまうような。
やりたいことはないんだったら、どんな課題かはさておき、
与えられた課題を解決するようなゲームを好きになれ、と言うほうが、
就職活動のアドバイスになるんじゃないだろうか。
(ある意味、受験勉強はHowを磨くためにあるのか?)

好きがある人は、それを追求するのか、諦めるのか。
好きがなかったらて、企業で生きる資質を磨け、と。

必ずしも、「好き」を基準に仕事をする人ばかりではない。
ここでいうHow的環境自体が好きというばかりではなく、
好きは仕事以外で追求するとか、仕事は生活のため、
というのも立派に働く理由なんだし。

閑話休題。

2点目のバックボーンについてだが。

新人がすぐにWhatを追求することは、
少なくとも大学卒業以前に大した社会経験のない
自分にとってみれば、無理があったのかもということだ。

そう、裏づけがないのだ。

こうしたい、ああしたいと言っても、
それには裏づけ、論拠が必要だ。
必ず他者への説得がついて回るからだ。

残念ながら自分が見えているところだけで
事業は成り立っていなくて、
異なる利害関係の調整や事業の全体像の関係が
分かっていなくちゃいけない。

…自信を持って発言し、提案する。

そのためには、ある事業を(望むか望まないかに関わらず)
多角的に見ることは必須条件であり、
今の環境を多角的な視点で見ることが
できるようになるために上手く活用できているかな、と。

こういうことがいつか読んだ本に書いてあった、

 好きなことをするためには、
 好きではないことをしないといけないように
 世の中はできている

ということなのかもしれない。

さて、この2点の重要な獲得があったとはいえ、
やはり思考回路の原則はWhatの追求である。

ここで重要なことは、こういうことではないだろうか?

◆働く基準をどこに設定するのか

(1)一貫して好きな分野に携われる道を探る

興味関心がある「好き」な分野で、
こうありたい、こうしたいというWhatを追求するのか。

(2)How環境への完全適応(宗旨替え?)

与えられた職場環境で如何にパフォーマンスを挙げるか?
という目標とルールが明確な「How」というゲームに
のめりこんで「好き」にしていくのか。

(3)開き直り

仕事は生活のためと割り切るか。

もちろん、わたしは(1)に身を置きたい。
安易に本質をWhat型をHow型には変えたくない。

当初の想定外である、今の環境に身を置くことで、
Whatへの追求は、職場環境が変わっても、
見失わないスタミナがあるかどうか、
またHow的な環境への適応能力はどうか、については
ひとまずの検証結果は、得られているように思うし、
別の観点の知識を踏まえて、やりたいことはこうあるべきだ、
という思考もできるかも、という新たな武器もできつつある。

また、そういやWhatかHowかで議論したが、
Whoという視点はまったくなかったか。

というか、その点はすごくドライで、
どんなに頼れる人がいても、ずっとその人と仕事はできないし、
だからこそ見習うところは、今見習いたいし、
その人がいなくなっても、出会ったことを自分の血肉にしたい。
誰かについていく、という考え方はしない。

そして、Whatを追いかけられる可能性がある限りは、
安易に事を運ばないようにしたい、というのが今の実感。

|大企業でWhatを貫くのは無理
(GoTheDistance)

今のポジションは、引き返せないような最果ての地ではないし、
たぶん最後まで貫くのは無理かもしれないけど、
今のステージでWhatを実現できる瞬間は体験したい。

まぁ、なんと言っても、どういう理由で働くんだ、
ということについて常に意識すること、
そして、今の環境を去るにしても、居続けるにしても、
明確に「選択する」ことだ。
なんとなく過ごすのが一番いけない。

他人からみればズルズルと
居続けているように見えているとしても、
それが自分の選択した結果であればいい。

それこそがただひとり立ちする「自立」ではなく、
あのときに大切だと感じた、「自律」の精神そのものなのだから。

◆参考記事◆
Go The Distance『大企業で働くということ』
http://d.hatena.ne.jp/gothedistance/20070503/1178198680

My Life Between Silicon Valley and Japan
『「好きを貫く」ことと大企業への就職』
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070402

My Life Between Silicon Valley and Japan
『自らの傾向や「向き不向き」に向き合うこと』
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070403/

Good-bye, My Halfway Life. :-) 荒野の直球ストレート
『自分の好きなことの追求、向き不向きと向かい合うこと、
 そして大企業で働くということ』
http://d.hatena.ne.jp/amring/20070404

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コメント

こんばんは、とてもいい記事ですね。

明日の1限のレジュメが夜中にUPされていて
ムキーっとなりながら、整理していましたが
この記事に出会えたので、それもやっていた
甲斐がありました(笑)

コメントでお返事を…と思いましたが
長くなってしまったので、時間のあるときに
記事にしてTBさせていただこうと思います。

それまで、もう少しじっくりと記事を
読ませていただきたいとも思います。

投稿: てぃー | 2007.05.21 03:44

soraです。

記事読まさせて頂きました。

私自身は?と考えてみました。

少し興味のある事があり入社して
自分なりに失敗したり、結果を出したり。
『好き』を追求してるというよりかは
流されてます。

たまたま空いてる席があり
そこからの景色が面白かったから座ってるような。

ただ座ってるだけってのも飽きてしまうので。
コレはコレで別の自分も追及しようかと。

(3)開き直りかなぁ。

投稿: sora | 2007.05.22 00:18

nikko81です。

●てぃーさん

|この記事に出会えたので、
|それもやっていた甲斐がありました(笑)

長くなってしまいましたが、
そういっていただけると、うれしいです。

|時間のあるときに
|記事にしてTBさせていただこうと思います。

ええ、お待ちしています^^

●soraさん

|少し興味のある事があり入社して
|自分なりに失敗したり、結果を出したり。
|『好き』を追求してるというよりかは
|流されてます。

結果的に充実していれば、どこに価値観を
置いてもいいわけで、うまく流されるのも
流れに身を任すことができれば、
また「アリ!」な生き方ではあるなと思います。

ただ、生来的にいわゆる「凝り性」の性質が
あるようなので、どうしてもひとつのこと…
となってしまうのです。

soraさんのコメントを拝見していると、
「流され」とは書かれているものの、
どこか能動的な感じを受けます。

誰かが面白いと言ったから、
人の集まるほうに必ずしもいくのではなくて、
ご自分の「面白い」という感覚にしたがって、
動かれているように思います。

投稿: nikko81 | 2007.05.23 01:14

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