高遠に散った勇士、その名は仁科盛信。
さて2日目。
松本を出て飯田線に乗り、
伊那市に向かう。目当ては、高遠城。
知っている方もいるかもしれないが、
高遠城址公園は長野屈指の桜の名所であり、
桜の咲くころは、人でごった返すという。
しかし、武田家の歴史を知る人には、
雪深いこの季節に訪れる意味が分かると思う。
長篠での大敗をきっかけに、
武田家は滅亡への道をたどることになるが、
その最後の抵抗の場となったのが、この高遠。
城を預かるは、信玄の五男で
勝頼の異母弟、仁科盛信。
1582年2月、ついに織田信長は武田征討軍を発し、
高遠城に籠もる武田軍3,000に対し、
迫る織田の大軍は50,000。
奮戦むなしく、武田軍は玉砕し落城、
盛信は25年の短い生涯を終えることとなった。
そんな激しくも悲しい戦場は、
こんな雪深い季節だったのだ。
さて、そんな高遠には、
伊那市からバスに乗り、高遠「駅」下車。
駅、と名前が付くのは、
鉄道が通る計画があったそうなのだが、
結局頓挫し、名前だけが残ったからだそう。
早速、マンホールゲット。
桜で有名な高遠そのままの図案。
雪深い道を進み、小高い丘を登っていく。
ふと振り返ると、一面銀世界の高遠の町並。
どんどん奥へ登っていくと、石垣が見えてきた。
このあたりは大手門らしいが、
往時からの改変が著しく、偲ぶものは少ないが、
唯一、元高遠城楼門が残っていた。
かなり小さくされてしまっているが。
郭内には、高遠閣という市民会館。
入母屋造でどことなく城っぽい。
赤い屋根というのが特徴だが、
木々に覆われ、全体を撮影するのが難しい。
さらに進むとよく写真で見る桜雲橋と問屋門。
問屋門というだけあって、本来は高遠城内の門ではないが、
城らしい雰囲気をかもし出している。
春になると、桜で覆われるのであろうが、
この日は真っ白な雪が、あたかも花を咲かせたかのように
木々の枝に降り積もっており、これはこれでいい。
こうして人気の少ないところで、
しんしんと雪の降る音だけを聞くというのも、
またひとつ、雪景色の楽しみ方である。
静かな時間をしばし過ごし、
遥か昔の激戦を想ってみる。
城内には、盛信を祭った神社。
あと歴史博物館をちょっと見て回ったりしつつ、
帰る途中にあった高遠温泉さくらの湯に、
寄り道しながら、伊那市駅まで戻る。
さくらの湯はよかったなぁ。
雪景色を眺めながらの露天風呂でした。
伊那市に戻った後は、この地方の名物ローメンを食べに
伊那市外へと繰り出してみる。
ケータイでヒットしたシャトレへ。
雪道を歩くと意外と距離を感じる。
で、ローメンというのがこれ。
焼きそばチックだが、蒸した麺であるところが特徴。
かなり量が多く見えて、大丈夫かと思ったが、
意外とするすると食べられ、あっという間に完食。
ごちそうさま。
帰り、伊那市のマンホールゲット。
電柱に不思議な地名を発見。「孤島」
そんな…何かに隔離された地域なのか!?
と思ったら、「孤島」ではなく「狐島」でした(苦笑)
さて伊那市からは飯田線を乗り継ぎ、
豊橋まで完全乗車だ!
駅で猫を見つける。
どうやら、地元では有名な猫のようだ。
寄って来るので、待ち時間猫の相手をする。
相手をしているのか、されているのか分からないが。
とりあえず、荷物の上に載るのは止めてください(笑)
さて、電車に乗ったあとは終着豊橋まで約6時間。
とりあえず、乗り切ることに意義があるというノリで
豊橋まで向かったが、さすがに乗り疲れる。
これが夏なら、途中駅で一度降りても
どこか見て回れるのだが、なにぶん冬は日が短いので、
あっという間に真っ暗になってしまう…
さて、あとは最終日。
珍しく、ギリギリまで粘らず早めに家に帰りましたが。
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