中部城廻2日目。
さて、翌日は郡上八幡を目指す。
この郡上八幡というところ、
なかなか電車で行くにはつらいところで、
JR高山本線で美濃太田駅まで行き、
そこから長良川鉄道に乗り換えるのだが、
きっちり時刻表をみとかないと、
時間間隔がとっても長いのだ。
長良川鉄道には、駅舎が温泉という
「みなみ子宝温泉」がある。
上手く時間が取れればいいのだが、
なかなかそういうわけにもいかず、スルー。
さて、郡上八幡に着き、
バスに乗って城下町プラザへ。
これがバス。まめバスというようだ。
ここ郡上八幡は、大河ドラマ「功名が辻」の
山内一豊の妻、千代の故郷だそうで、
ここぞとばかりに「千代の里」をアピール。
電車の車体にも。
駅には、ふるさと鉄道館。
昔の鉄道グッズの展示。
鉄道ファンは、見もの?
ここからはまた歩いて、天守を目指す。
さて、ここでマンホール。
郡上八幡は鮎でした。
水のきれいな街にふさわしい?
地図にもあるように、
結構な山城である郡上八幡城。
けっこうくたびれた。
しかし、年配の方もせっせと歩いて登っていて、
ここは負けられないでしょう!
途中には、一豊と千代の像。
大河ドラマで有名になった(?)黄金十枚で
名馬を買わせた、の図。
奥には、天守も見える。
ここからが大変。
歩いている時間は、ほんの30分程度だが、
結構な山道で勾配もそこそこある。
息が切れてハァハァというほどではないが。
登った皆さんが休憩しているところまで来ると、
とても天守がよく見える。
別アングル。
これも模擬天守なのだが、
建造は昭和8年(1933年)相当古い。
現在の大阪城が昭和6年(1931年)建造だが、
ほぼ同時期に造られたことになる。
しかも、こちらは木造建築。
大垣城を模したといわれるが、
確かに似てはいるものの、
三層目の破風などは特徴的。
四層目にも掛かるほど、大きくて急勾配。
瓦のデザインが面白い。
どう見ても、桃にしか見えない。
かといって、歴代城主に桃の絵を家紋に持った
城主がいるわけでもない。どして?
城門。残念ながら、これも模擬。
さて内部へ。
木造とはいえ、建物の構造は至って現代的。
2階部分が吹き抜けだったりして面白い。
天守からの眺め。
…ずいぶんと山間に来たものだ。
内部には、千代関係の展示も多く、
千代が残した「現代でも通じる千代の知恵袋」も。
日ごろから夫をおだてるとか、
さりげない言葉で夫を誘導しようとか、
大抵、家族連れで来ている奥さんが
ふんふんと熱心に見つつ、
旦那は複雑な気持ちで見ている…といった感じ(笑)
ひとつ、へぇなのだが、
一豊と千代を引き合わせたのは、
かの天才軍師・竹中半兵衛だったそうだ。
これは半兵衛の意外な一面。
へぇその2。
東京の青山は、郡上藩主の青山氏に
由来するそうで。へぇ。
さて、博物館にも寄ってって。
郡上八幡は蝋細工が盛んらしく、
レストランでよく見る食品サンプルで、
全国シェア50%以上だそうだ。
このとき、まだ昼を食べてなかったから…
きゅるきゅる。
初めて輸出されたビーフステーキのサンプル。
未だ当時のまま。変色ひとつなし。1958年。
郡上八幡をあとにして、
JRとの分岐点、美濃太田まで戻り、
下呂温泉へ。
ここでもこの先、飛騨高山で祭りがあって、
高山は全ホテルNG、下呂でもなかなか取れなかったが、
かろうじて1軒確保できて。
温泉は幸乃湯へ。
観光向けというよりは
地元の人向けっぽい感じがいい。
しっかり温まって、折からの突風が吹こうとも
ぜーんぜん平気である。
さて、翌朝は早起きして
始発の高山線に乗って、飛騨高山を経て、
神岡、さらには富山まで足を伸ばす。
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