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虎が吼え、鶴が舞う地、甲府。

5/2の甲府訪問について。

一般には非公開である、武田家の至宝であり、
かつ現・国宝の楯無の鎧の復元品を
間近で見られるということもあって、
いてもたってもいられず。

山梨県というと、遠いイメージがあるが、
位置的には、東京都の隣には違いがない。

ただ、東京都が西に張り出しているので、
そのさらに西隣、だから遠く感じられるわけで。

現に、甲府まで東京から各駅停車で向かっても、
2時間程度で着くことができる。
今回は特急でいったけど。

まずは、甲府市隣の笛吹市御坂町にある
山梨県立博物館・かいじあむ

いろいろ展示はあったけど、
やはり楯無の鎧

それを、当時と同じ工法・材料を用い、
3年の歳月をかけて復元。

最近は文化財の復元も、きっちり時代背景を調査して
復元する風潮ができているのは喜ばしく、
城郭を正確に復元しようとするのと、同じ発想だ。

その手間、その技術、すばらしいものだ。
見れるだけで感激。

今から800年以上前、平安時代末期から鎌倉時代に
製作された鎧であり、源頼義が後冷泉帝から下賜される。

のち、現代に伝わる最古の日章旗とともに、
息子義光を経て、孫であり武田家の祖となる
義清と伝えられてきた由緒ある鎧だ。

武田家では、重要な誓いはこの楯無の鎧に誓い、
その誓いは当主でさえ破ることが許されない、
カリスマ性が与えられていた。

「御旗、楯無もご照覧あれ」

戦の前には、こう唱えて勝利を祈願したという。

おそらく信玄の時代に伝わっていた
楯無の鎧もこのような姿だったのだろう。

せっかく、端午の節句も近いことだし、
五月人形代わりのレプリカでも、
売ってればよかったのだが、残念ながらナッシング。
ということで、写真もナッシング。

せっかくいろいろと、武田信玄にまた
触れることができたので、別記事を起こそう。

最後に博物館のある御坂町(みさかまち)のマンホール。

Misaka

山梨県下でもっと早くバラの生産が始まったところで、
現在でも県下生産の80%程度を占めるという。

さて、甲府駅に戻り。

信玄のことば、「人は城、人は石垣、人は堀…」で
知られるように、信玄存命中には、
前線基地として築城することはあっても、
甲斐国内には、城を築城することはなかった。

甲斐国内に攻め入られたことがなかったのもあるが、
頑強な城を造るよりも、信頼しあうことで
生み出される結束力を何よりも、
信玄が信じたからだった。

そんな甲府にも、武田の時代が過ぎた後、
天下人・秀吉の命で城が造られた。
それが今、舞鶴城公園となっている甲府城
舞鶴城とは、甲府城の雅称だ。

幾度となく甲府には訪れているのに、
避けるように甲府城に向かわなかったのは、
何一つ建造物がなかったこともあるが、
やはり、武田家滅亡の上に成り立つ城であるから。

とはいえ、2004年に稲荷櫓が再建され、
城郭建築ができたこともあって、見学することにした。

まず見えてくるのが、内松陰門。

Mon

しかし、この門からは入らず、
JR中央本線の線路脇から、稲荷櫓を。
なかなか立派な櫓。
破風の白と黒のコントラストがいい。

Inari1

別角度から。

Inari2

櫓の脇には、白漆喰を塗っていく過程が示され。
なんと、10層にもわたって塗っていくらしい。

Naritachi

伝統工法にこだわった造りがなんともすばらしい。

こうして築城技術は後世に伝えられるはず。

稲荷櫓前から見る天守台。

Tanshudai

発掘調査で、旧来まで徳川家康の築城とされていたが、
一旦、豊臣秀吉の命で築城され、
その後、徳川の手に渡ったことがわかっており、
天守閣が実在したのでは、と言われている。

織豊期(信長・秀吉の時代)の城の特徴は、
金箔を貼った瓦にあるのだが、
数多く城内から出土しているらしい。

しかも、この時期の天守閣は、黒漆に下見板張りという
豊臣大阪城を代表とする(わたしの好きな!)黒天守であり、
もし現存したら、どんな天守かとわくわくする。

しかし、甲府城が徳川の手に渡るとき、
豊臣色の排除か、あるいは徳川への忠誠を誓ってか、
時の浅野長政・幸長父子により破却されたようだ。

ただ、天守閣があったかも、とわかったことだけでも大きい。
事実、天守実在説が浮上するのに伴って、
資料をかき集めて再建しようという機運も高まり。

せっかくだからきっちりとしたもの、
後世に残して恥ずかしくない、
立派な天守閣を造ってほしいぞ。

天守台に近づいてみると、
ちょっと不思議なかたちをしていることに気付く。

Tanshudai2

なぜか「コの字」型になっているのだ。
そうすると、吹き抜け構造になっていたのかなぁ。

帰りは南口に当たる遊亀橋(ゆうきばし)から。
ここ一角だけ、唯一堀が残る。

Joheki

さて、このまま帰るには時間があるので、
恒例の武田神社へ参拝。しつこい?

神社前の堀では水鳥が激しく喧嘩。
それとも?動画をどうぞ。(5.7MB)

境内では、能楽堂が建設中。
武田神社創建90周年記念だそう。

Zouei

拝殿。

Takedajo

このあと、岩窪町の信玄火葬塚へも
墓参りをしてきました。

帰りのスーパーあずさのなかで、桔梗信玄餅。
信玄とは何の関係もないところに、
勝手に「信玄」とつけるところはさすが。

Tabekiri

ちょうど食べ切りパックの2個。210円。

今年の甲府巡礼記でした。以上。

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コメント

はじめまして。
私は5/1に武田神社へ行ってきました。
一日違いでしたね。
朝のちょこっと参拝でしたので、じっくり見学もできませんでしたが
次回行くときは、奥の方もゆっくり見学散歩してみたいと思います。
甲府城や博物館へも是非行ってみたいです。
桔梗屋さんの信玄餅、私 大好きですよ。

投稿: るるぷぅ | 2006.05.10 12:12

nikko81です。

るるぷぅさん、はじめまして。

武田神社は、毎年この時期に参拝しています。
本来なら、命日の4/12におまいりできると
いいのですけれどね。

一度、神社から程近い岩窪町の
信玄火葬塚に8/12にいったことがあり、
ちょうど、武田神社の神主さんが、
命日のお勤めをしていたので、
一緒に手を合わせたことがあります。

意外と甲府城はいいですね。
博物館は、信玄関連の展示があるときは
いいですけれど・・・

信玄餅、わたしも好きです。
信玄と関係ないけど。
きな粉まみれになるけど(笑)

投稿: nikko81 | 2006.05.10 22:53

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