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寄り道に丸一日かけちゃった…その1

正月休みの最終日。
朝早くから、大阪の実家を出て、
のんびーりして、あちこち寄り道して。

もちろん、城を眺めつつ。

というわけで、最初は奈良の大和郡山城から。

●大和郡山城

奈良で城というと、あまりピンと来ない人が多いだろう。
奈良の全盛期は、言うまでもなく古代であり、
歴史の名を残す仏閣が観光地なのだから。

しかし、そこを敢えて城探索に向かう。

大和国で有名な城といえば、
長屋形式の多聞櫓の由来である多聞山城のほか、
戦国期の奸雄・松永久秀が名高い茶器、
古天明平蜘蛛に爆薬を詰め込み、
自爆したと伝えられる、信貴山城、など。

ただ、城郭建築があるという意味だと、
この郡山城くらいかもしれない。

さて、郡山城に近い近鉄郡山駅を降りると、
なにやら、城っぽい建物。

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しかし、これは交番だった。
なぜ、交番がお城?謎である。

また、大和郡山といえば、金魚が有名。
というわけで、マンホールは金魚。
その由来はのちほど。

manhole_goldfish

さて、駅からちょっと歩くと、
城門と櫓が見えてくる。
大手向櫓と追手門。

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戦後の復元ではあるが、
無骨ながら味のある建築。
かなり好きな部類に入ります。

茶色が変色して黒くなっているあたり、
復興といっても、かなり前に建てられたのだろう。

最近思うのだが、いわゆる江戸初期に
オーソドックスな白壁の城よりも、
秀吉時代の黒壁や、さらに戦国期に多い、
こうした木の色そのままのデザインのほうが好みだ。

白を基調としたデザインでも、
ちょっと木の茶色があると、
アクセントカラーになって、とても見栄えがする。

ただ、残念なことに入れる建物はなく、
眺めるだけ。ま、いいか。

天守台のほうへ向かうと、
ちいさな扉が開いている。

michi

扉には…花菱?

hanabisi

その先に「柳澤神社」と書かれてあって、
ようやく納得。柳澤の花菱なんだ。

そうそう、徳川綱吉の信頼を得て、
側用人から出世した柳澤吉保の息子(吉里)の代になって、
甲府から郡山へ転封になってたんだっけ。

そのときに、甲府で見世物として飼われていた
金魚を家臣が郡山に持ってきたそうな。

そのことから、甲府市と大和郡山市は、
姉妹都市提携を結んでいる。

柳澤家が、花菱なのは甲斐武田氏の流れを汲む
甲斐源氏であるからといい、
信玄の代にも家臣として、仕えていた。

思いもかけず、ここで初詣をすることに。

柳澤吉保は、仕えていた徳川綱吉が、
館林藩(群馬県館林市)から一躍将軍を継いだ
という幸運もあって、異例の出世を果たす。

それにあやかって、今年は飛躍の年と
したいものよのう。

よく見ると、川中島合戦図が掲げられてある。
これも、かつて柳澤家が武田家臣として
仕えていたことによるのだろう。

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柳澤吉保は、甲府城主の時代に、
不遇の日々を送っていた信玄の子孫を復興すべく、
将軍綱吉を説得したり、徳川家康が再興した
武田家の菩提寺恵林寺を修理し、
信玄の墓を建立したそうだ。

彼の信玄に対する敬意の念が伺える。

神社を出て、社殿の奥に見えるのが
天守台。ちょっと崩れかけていて、
地震でも来たら、ほんとに完全崩壊しそう。

tenshudai

天守台からの眺め。
もうちょっと天気がよかったらね。

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この天守台は、城郭を造った筒井家が
伊賀上野に転封になった後、
太閤秀吉の弟にして、大和・和泉・紀伊、
合計100万石を領する豊臣秀長の本城として、
大きく拡張されたらしい。

その際、大和国は石材に乏しい国であったため、
天守台の石垣に墓石や地蔵までもが用いられ、
今では、逆さ地蔵として有名。

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さて、そんな大和郡山を後にし、
さらに東へ。忍者の里・伊賀上野へ。。。

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受信: 2006.01.15 16:00

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