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越前四城征服。

今日も、昼過ぎまでZzz。
メシも食わずにシャワー浴びて、
また寝てしまった。気づくと16:00。
なんちゅー怠惰な日だ。

てなわけで、こんな時間でも
まったく睡眠欲なし。

昼夜逆転生活はよくないぞ…

ということはともかく、先週の城廻の結果。

●丸岡城

まず目指すのは、福井市の北、
約10km程度に位置する坂井郡丸岡町。
ここに、最古の現存天守閣が残る
重要文化財、丸岡城がある。

小松空港から一旦、金沢に向かい
荷物をコインロッカーに預け、
金沢からサンダーバードに乗って、
芦原(あわら)温泉駅へ。

本当なら、ここで普通列車に乗り換え、
一駅先の丸岡駅に向かうのがいいのだが、
普通列車が来るのを待っていると、
1時間程度も待ちぼうけに。

一般的に、日本海側は列車の使い勝手が
非常に難しく、なかなかうまく
列車の乗り換えができない。

一度、山陰方面に行ったときにも、
電車でけっこう苦労したから。

土日の2日間という短い時間で
城を廻るためには、
タクシーという手段も使わざるを得ない。

ということで、芦原温泉駅から
タクシーに乗った。

15,6分して市街地のなかに
見えてきた丸岡城。

maruokajo

非常に質素なつくりになっていて、
近世城郭のような白漆喰の優美さや、
金鯱のような豪華さなどはない。

しかし、板葺きに石瓦という
質実剛健さがなんともいい感じ。

ishigawara

ただ、デザイン上のよさだけではなく、
土瓦では冬に凍って割れることが多く、
石瓦が採用されたのではないか、
ということがに書かれていた。
(弘前城の特徴の項目参照)

また、築城が1570年代ということで、
戦国時代真っ只中。

戦国期の城郭というものは、
こういうものだったのだろう。

近くでは紅葉もキレイ。
天守閣と紅葉がベストマッチ。

momiji

ちょうど、紅葉のいい季節なので、
城正面では、城の絵を描いている
地元の方が多数。

さて、もう帰ろうかというころに
雨が降り出してくる。
しかも、ここまでタクシー来ているので、
またタクシーを呼ばないと。。。

●北ノ庄城・福井城

なんとか福井まで到着。

雨の中、柴田神社へ。

sibatajija

福井の地が「福井」という名になる前、
ここは、北ノ庄と呼ばれていた。

織田信長が浅井・朝倉氏を滅ぼした後、
北陸の押さえとして、柴田勝家を派遣。

勝家は、北ノ庄に七層とも九層とも言われる
大天守を築いたとされ、
宣教師ルイス・フロイスの書簡では、
北ノ庄城も石瓦が使われていたらしい。
こうな風だった、らしい(あくまで想像図)

kitanoshou_souzou

七層と聞くと、相当豪華な天守を想像するが、
石瓦が使われていたのであれば、
デザイン的には丸岡城に似て質素だったのかも。

ただ、福井城築城にあたり、
完膚なきまでに破壊されているので、
遺構などはほとんどないが、
場所は大体、この柴田神社の辺りが
本丸だったそうな。

柴田勝家像。年を食った桃太郎に見えるのは
きっと気のせいだろう(笑)

katuie

籠城戦で打って出るかどうかの決断のとき、
最後の飲料水を貯めた瓶(かめ)を
叩き壊し、背水の陣で打って出る決断をした、
というエピソードから、瓶割り柴田との異名を持つ。

信長の野望でも戦闘力が高い柴田勝家。
その表情は、まさに豪快さそのものだ。

ちなみプロレスラーの柴田勝頼は、
勝家の子孫だそうです。

こちらは、お市の方像。

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教科書などでみる肖像画よりも、
とても優しく、慈愛に満ちた表情。

お市というと、絶世の美人で知られ、
信長の政略結婚で浅井長政と結ばれるが、
長政は信長に反逆し、長政は討たれてしまう。

長政との間にできた三姉妹を連れ、
勝家と再婚。しかし、秀吉と勝家が対立、
賤ヶ岳の敗戦で、勝家も自害。

実は、秀吉が信長に仕えだした頃から
憧れに憧れたが、お市はシカト。
北ノ庄落城の際にも、お市を救おうとしたが、
お市は勝家とともに、死する運命を選ぶ。

とはいえ、賤ヶ岳のあと、
お市の形見である三姉妹の末っ子、茶々を
側室とする。これが後年の淀殿。

チョット話がずれたが、
あまり幸せとはいえない人生だったお市。

そばに北ノ庄にあったと言われる井戸が復元され、
訪れる人が美しく幸せになるように、
との願いから、「お市の水」といわれている。

さて、ちょっと歩くと、大きな堀が見えてくる。

fukui

こちらは、江戸期に築城の福井城。
城内に福井県庁・福井県警本部などがあり、
歴史の面影は、石垣と堀のみだ。

福井城の築城は、福井藩初代の結城秀康。
家康の次男で本来なら、徳川秀康として、
二代将軍になってもおかしくない人物。

しかし、家康の戦国武将としての気質を
濃厚に受け継いだ秀康は、幕藩体制を固める二代目
としては、家康の目には適格者とは
映らなかったようだ。

その秀康が築城した福井城には、
四層五階の壮大な天守が聳えていたそうだが、
1669年に焼失、以来再建はされなかった。

残されている天守図はこちら。

tenshu

絵図がちゃんとあるなら、
再建してもいいんでは。。。
ちゃんと見に行くよ?

こちらは、「福井」の地名の
由来となった福の井。

fukunoi

言われないと、ただの古井戸
にしか見えませんが。。。
なんで、この井戸の名前をとることにしたのかな。
「福」だから?

さて、そろそろ次の越前大野城へ。

その前に、福井名物を。
福井名物といえば、ソースカツ丼。

もっとも有名なヨーロッパ軒さんの
ホームページによれば…

ヨーロッパ軒創業者、高畠増太郎が
ドイツで6年の料理研究の末、明治45年帰国し、
ドイツ仕込みのウスターソースを
日本人の味覚に合うよう考案したのが、
ソースカツ丼らしい。

時間があったのに、ヨーロッパ軒に
よらなかったのは失敗したなぁ、と思ったが、
あまりに腹が減っていたので、
駅前でソースカツ丼食べたけど。
うまかったから、いいや。

sauce-katu

●越前大野城

さて、福井最後は大野城。

これがまた行くのが大変なところ。
JR九頭竜線が異常に本数が少なく、
途中も、代替バス運行してたり。

この時間(15:00)に福井を出ると、
どう考えても中には入れないのだが、
見るだけ見ておこう、ということで、
越前大野駅まで電車とバスを乗り継ぐ。

途中、朝倉義景の居城一乗谷城付近を通る。
ただ今回は、残念ながら
ここまでカバーできず。

大野駅に着くと、速攻でタクシーに乗り
大野城を目指す。

冬は、日暮れが早くぼんやりしていると
すぐにあたりが暗くなってしまう。

これが越前大野城。
なんか普通な感じでした。

etizenooo

ちょこっと見ただけですぐに
すぐに引き返さないと。
なんともドタバタだなぁ。

近くには、朝倉義景墓もあったり、
北陸の小京都と言われる風情あるところ。

今度は、ゆっくりと来たいものだなぁ。

これにて、福井編はおしまい。
次、メインの金沢です。

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