西から東へ大移動。
さて、西播州攻城の続編。
一旦、姫路に引き返し姫路泊。
そこから一転、東進して明石へ。
2日目第1弾は、明石城。
間違っても、お台場明石城と
勘違いしないように(笑)
# 関西地区の皆様、関東ローカルネタですみません。
# 大阪に帰ったとき、やってなかったので、
# おそらく関東ローカルかと。
明石城は、駅を降りるまでもなく
駅のホームからばっちり見える。
左右の櫓がとてもいい感じ。
さて駅を降りて、明石城址(明石公園)へ。
左側の櫓が坤櫓(ひつじさるやぐら)。
最上層の赤い装飾がチャームポイント。
チャームポイントどアップ。
天守台となる石垣はあっても、
天守閣が建てられなかった明石城では、
この坤櫓が代用天守とされたようで、
京都・伏見城から移築された。
城通としては、第二層の向かって右手、
緩やかな曲線の唐破風と
三角になった千鳥破風が同じ箇所に
同居しているというのが、非常に珍しい。
拡大図。
右側は巽櫓。
こちらは、明石城が築城される前の
船上城から移築されたそうだ。
両櫓とも、かの阪神大震災で、
相当な痛手を蒙ったが、
石垣の上から一旦下ろされて修復。
その後、また石垣の上に戻され、
現在のようなすばらしい姿を見せてくれている。
朝日を浴びる巽櫓。
奥に見える橋は、淡路島へと続く明石海峡大橋。
そんな明石城を持つ明石公園のマンホールは
もちろん、明石城。
帰り際。
じっと動かず何かを見ているハト。
何を考えているのか??
出口付近に来て、ふと電話ボックスに目をやると。
きれいに巽櫓が写っていたので
おもわずカメラを向ける。
櫓の部分だけ見ると、
直接写したみたいにきれいに反射している。
そのわきでは、側溝に溜まった雨水を飲む猫。
ひたすら飲んで飲んで飲んで。まだ足りない?
* * * *
さて、さらに東進。
ここで、96年の歴史に幕を閉じる
「ひらかた大菊人形」を見るべく、
京阪電車・枚方公園駅に降り立つ。
ひらかたパーク、通称ひらパーなんて、
何年ぶりだろう、すごい懐かしい。
名物くらわんか餅でもほおばりながら、
ひらパーのほうへ向かう。
くらわんか、とは食わないかのことであり、
今で言うなら、食べてみよう餅とでもいうのがいいか。
どちらにしろ、すごいネーミングでしょう?
途中、菊とジェットコースターの
マンホール。
でも、入り口について唖然。
なんと、見学まで3時間待ちとのこと。
さらにここでチケットを買うなら、
チケットを買うためにまず、並ぶ必要があり。
非常に残念だが、今回は諦めた。
他にも行きたいところがあるからなぁ。
12月4日までだそう。
うーん、やっぱり見たいなぁ。
激安高速バスでも使って、
もいちど、大阪に帰るか。
すごすごと引き返し、
次にどうしようかと考え込む。
京阪電車に乗って、京都方面に向かうのは
決まっているのだが…
・淀城址を見る
・伏見桃山城を見る
・京都で紅葉
・二条城を見る
このなかで、二条城は以前見たし、
去年、紅葉を見に京都に来た。
伏見桃山城は、向かうのに時間がかかりそう…
(駅から遠すぎ)
というわけで、建物は何もないけど、
淀城址に向かい。
競馬ファンならよく知っているであろう
京都競馬場のある京阪淀駅。
その淀駅の真隣が淀城址である。
淀城というと、豊臣秀吉が
側室茶々のために造った城として名高い。
しかし、現在見える遺構は江戸期のもの。
三代将軍・徳川家光の乳母として知られる
春日局の実家・稲葉家が居城。
駅舎から天守台の石垣がすごい間近で見れる。
淀観光協会の看板。
どうやら、天守閣再建を目指しているらしい。
どういう構想か、詳しくはわからないが、
できれば木造の本格的な
天守の再建を希望したいところ。
この天守台の上に建造されることになるのだろう。
駅から眺めるとどう見えるのだろうか?
駅に近いということと、
もうひとつの特徴は、猫が多いこと。
チョットこれは多すぎる。
近所迷惑にならないか…というくらいの7匹。
もっといるかもしれない。
しかも、どいつも目つきが悪く
猫同士で威嚇してるし。
わたしも睨まれました。
さて、このあとはゆっくりしたい
気持ちもあるのだが、
京都を通り過ぎ、岐阜県・大垣へ。
ここまでくれば、夜行快速・ムーンライトながらで
東京まで帰ることができる。
しかも、普通電車で。
時間はたっぷりあるので、
大垣城を見学。
驚いたことに、駅前商店街をまっすぐ歩き、
ふと右を向くと、もう天守が見える。
商店街から見える天守。
本丸のある郭以外は徹底的に市街地化し、
堀も何もあったものではない。
また、周りに木が茂りすぎているのも
写真に建造物を収めるという意味では、
チョット残念ではあるが、なんとか天守閣を撮影。
破風の形とか、小型で質素なミニ大阪城みたい。
数えればわかるが、この天守は4層。
当時、天守閣は3層か5層が一般的で、
4層は死相(しそう)に通じるとして、
嫌われたらしい。
戦前まではこの天守閣が残存し、国宝に指定される。
が、惜しくも戦争で焼失。
このほか太平洋戦争では、
名古屋城、岡山城、広島城、和歌山城など、
いづれも国宝級の貴重な城郭を失った。
返す返すも惜しいことである。
復元櫓。もうすぐそばまで民間の建造物が
迫ってきており、いかにせまくるっしいところに
城郭が建っているかがわかる。
また、天守閣石垣下には明治期の洪水の記録。
比較的高台にある城内にまで浸水していたということは、
町中のほとんどが冠水していたことだろう。
生々しい記録である。
意外と早く大垣城見学が済んでしまったので、
ボーっとするわけにも行かず、
名古屋まで足を運んでみることに。
ここまでで、城廻編はおしまい。
最後、おまけの名古屋編。
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