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日付が変わる前にひとこと。

今日は、敗戦の日。

特に今年は、60年という節目の年だ。
60年というと、この年に生まれた赤ん坊が
還暦を迎える、というそういう年月だ。
人の一生の、とても長い時間が流れているのだ。

その間、不戦を訴えてきたはずの
日本の声は、どこへやら。
世界各地では、戦争の火種が
消えたためしはない。

むしろ、憎悪が憎悪を呼び、
反戦や平和という声は、平和な国でこそ、
表立って出てくるけれど、
ほんとうに必要なところでは、
無残にもかき消されてしまう。

どうして、戦争の悲惨さが
わからないんだろう、そう思う前に。

ミームの考え方を思い出してはどうだろうか。

文化の広がりを遺伝子に喩える、
というユニークなミームの考え方によれば、
メッセージのなかに、正しいとか美しいとか、
人が普通考えるプラスの価値が
含まれているからといって、
それがメッセージが拡散し、
増幅することにはつながらない。

そのメッセージが人に受け入れられるかどうか、
その一点を以って、広がっていく。

残念ながら、テロを起こす人たちや
戦争が絶えない地域の人々の中では、
平和にしよう、戦争をやめよう
というメッセージが大きな力を
持ちえないのかもしれない。

今の現状が何より、そのことを
物語っている。念仏のように唱える平和。
無力。あまりにも無力。

どうしたら彼らに「不戦」を受け入れられる、
心の環境が整うのだろう。
何も考えてこなかったくせに、
そんな答えなんて、あるはずもなく。

そう考えると、非暴力・不服従の哲学を貫き、
インドを独立に導いた
マハトマ・ガンディーを思い出す。

暴力に依らず闘い、平和を勝ち取ること。
これを実践し、また人々の心に
非暴力の精神を広げることができた
ガンディーのすごさに、改めて感じ入る。

ミームの考え方を提唱した
リチャード・ドーキンス博士のことば。
ミームについてくわしい「ミーム学ブログ」から
転載してみます。

…盲信は一切を正当化できる。(中略)
ベイルートの路上で射殺する、
ベルファストの酒場に居るところを爆弾で吹きとばす。
何でもござれだ。愛国的、政治的盲信であろうが、
宗教的盲信であろうが上記の性質は
まったく同じである。

(R.Dawkins 「The Selfish Gene」より)

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コメント

おひさしぶりです。mjです。

本当にその通りだなと思いながら読ませていただきました。
「どうしたら彼らに「不戦」を受け入れられる、
心の環境が整うのだろう。」
というのは、とても大きな問いですね。

痛い事や辛い事、悲しい事は、起こらない方がいい。
そのためにできる事を、これからもミームの視点から考えていきたいと思います。

投稿: mj | 2005.09.03 05:30

nikko81です。

mjさま、コメントありがとうございます。
本当に難しい問題だと思います。

ただ殊に、日本に限って言うと、
戦争が悲惨であるということを
風化させてはならない、
ということだけが先行しているような気がして、
しかも、それに異議を言うことは
タブーになっていると思います。

でも、そうして発してきたメッセージが
本当に受け入れてほしい人たちが
受け入れられるものになっているのか、
検証が必要なはず。

ただ、発し続けることだけに
意義を感じていても
仕方がないことですから。

投稿: nikko81 | 2005.09.08 02:19

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