VR作品「江戸城の天守」

凸版印刷のVRがまた江戸城を取り上げたということで、
早速行ってまいりました、「江戸城の天守」

Scan001

Scan002

結論から言って、すごくよくできた内容です!
ナビゲーターの女性があれこれ説明してくださるのですけど、
江戸城天守をいくつかの切り口でわかりやすく説明。

以前「江戸城~本丸御殿と天守」というVRもありましたが、
どちらかというと本丸御殿中心だったこともあり、今回は
かなりマニアックに天守のほうに力が入ってましたね。

1) 徳川家光
2) 石垣
3) 骨組み
4) 銅板葺
5) 金物
6) 鯱

の6点から解説されています。

1) 徳川家光

そもそも徳川家光って知ってますか?というところから
忠長を偏愛する江に愛されずに、廃嫡されようと
されていたのを家康が処断し、跡継ぎの宣言をしたことで、
家光に家康への尊敬が生まれたというくだり。

直接江戸城とは関係はありませんけど、とにかく荘厳に
華麗に・・という家光の好みは日光東照宮の壮観さにも現れ、
それが家康への敬念の表れとするなら、天守にも
その意向がある程度反映されているという理解もでき、
その意味で、悪くない説明かなという感じ。

2)石垣

すごいなーと思ったのは、ちゃんと現天守台との違いの解説をするとこ。
伊豆石をつかった当時の天守台の再現、その伊豆石を切り出す
石丁場から江戸城への持ち込みの解説まで。

さらには中雀門などに江戸城寛永度天守台の石垣が
転用されてる話なども盛り込まれていて、そうそれそれそれそれ!
とニヤニヤしながら聴いておりました(笑)

そしてVRでも天守台は真っ黒の天守台。瓦は後述するように、
黒チャンが剥がれた後想定の緑色なんだけれども、
石垣から壁と瓦の銅板+黒チャンの黒が映えると、
ホントに真っ黒の天守でかっこいいなーと実感できます☆

3) 骨組み

ここもしっかり史料に基づいた解説。
東京都立図書館蔵「江戸城御本丸御天守百分之一建地割
をベースに、柱をずらーっと据えつけていくさまをVRで実験。

こうやって柱が立っていくのね、という実感ができ、
また三浦先生が復元調査報告書で解説されていた、
御天守百分之一建地割の正確さを改めて感じた次第。

4) 銅板葺

ここでは、日光東照宮陽明門や寛永寺五重塔などを例に、
その作り方や仕組みなどを詳しく解説。
実際の日光東照宮の銅板をお持ちいただいて、触ったりできる
というのも新しかったかも。薄いのに頑丈ということで耐久性中心の説明。

個人的には、本瓦葺よりも総重量が軽量化できる点、
また江戸城クラスの大天守ならばこその軽量化の必要性、
という点にも言及いただけたらよかったかなぁ。

5) 金物

二条城はじめ、多くの歴史建造物の金物を手がけている工房
からその打ち出しの技法を解説。意匠参照としては
やはり二条城二の丸御殿が参考にされていましたね。

ただ、国立公文書館蔵の「江戸城御天守絵図」はかなり
正確な意匠を反映しているので、ここへの言及はほしかった…

しかし、意匠自体はこちらとも矛盾のないよくできたもの。
どアップで千鳥破風が映って、細かい意匠がハッキリ見えるのは圧巻。

6) 鯱

こちらもどアップ。参考は名古屋城天守とのことで、
まぁ妥当なところでしょう。

そして、シアター前にその金物や鯱のVRを起こしたときの
設計図面の一部や金物のサンプルがあって、萌え萌え(笑)

銅板葺の鬼瓦がこんなに緻密な仕事でできてんだぜ・・・

P1260252

P1260259

鯱。

P1260261

P1260255

釘隠しには花菱だぁぁぁぁぁと頭の悪いコメントが
頭を渦巻いていました(笑)

P1260263

・・・これ、前作のように、DVDないしBlu-rayになったら
間違いなく買いですね・・・つくってくれないかなぁ。

3月31日まで上映なので、気になる方はぜひ!
城郭建築好きさんはもちろんのこと、広く和建築が好きな人にも
楽しめる内容なんじゃないかと思いました。

わたしもあと数回通いたいと思います!

blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。
blogram投票ボタン


| | コメント (0) | トラックバック (0)

去年の今頃はシリーズ(5) 西宮鷲林寺・信玄公墓

さて、その勢いで神戸まで。串カツ日光なるお店を
見つけたらそりゃ行きたくなりますわな(笑)

P1170824

日光が神戸串カツ日光でチーズミルフィーユカツ。
串カツ屋さんらしい。安くて美味い。アリアリ。

P1170823

さて、目的は・・・鷲林寺。絶対うそやん!と思うのですが、
「信玄公墓」なる石塔があるということで・・・
西宮駅から阪神バス乗車、「鷲林寺」下車 徒歩20分という、
わりと行くのに面倒なところなのですが(笑)

P1170826

割と山手で山城でもありそうなところをずんずんと進んでいくと。

P1170829

P1170832

小さなお堂。往時は伽藍があったようですが、
織田の兵火で焼失して以降、再建されることなく
長く放置され、最近になって再興され始めたとか・・・

P1170847

そしてその向かって右手に石塔群。

P1170837

ひときわ目立つ七重石塔が信玄公墓・・?

P1170839

どうも創建年代は鎌倉時代に比定されているらしく、
その点からも信玄公の生きた時代との関連は考えにくいですね。

鷲林寺は淳和天皇の天長10(833)年、
弘法大師が開基の寺。荒木村重の叛乱とその討伐に
来襲した織田軍の兵火で本尊などを除き、伽藍など焼失。
・・・ということも、あまり武田との関連を考えにくい。

しかし、地元には、

鷲林寺近くに住む人の話によると、七重塔の下には信玄の遺髪や爪が納められていると子どもの頃に祖父から聞いていたそうです。その大昔からの言い伝えが現在まで伝わり「武田信玄の墓」と言われている

という伝承が残されているらしく、また鷲林寺にある
お墓には、花菱紋のお家や武田姓の方までいらっしゃいました。

住職のお作りになっているWebの解説によると、

当山麓の鷲林寺村には甲斐姓が多い。これについて、戦国時代、信玄公の末もしくは家来が当地に逃げ延びて寺の周りに集落を構えた。そして鷲林寺境内にあった七重石塔を信玄公墓として崇拝したという説。

というものがあるそうなのですね。得度をこの寺で得た・・・
というのはさすがにないでしょうけど、尼崎の善念寺のように、
武田勝親が逃れてきた
ような話もあるわけです。

東にだけでなく、西のほうにも遺臣が逃れてきて、
この一体に集落を構え、精神的支柱として元ある石塔を
信玄公墓として、祈りをささげた・・・とは理解のできる話。

いずれにしても、西宮で『信玄公』なる敬称が
見られるのは興味深いと思うんですよね。うん。

P1170841

さて、お寺さんのお参りもせねば。
かわゆすぎる「ようおまいり」。

P1170848

現拝殿は昭和5年落慶とのこと。わりと最近ってホント。

P1170850

「鷲」林寺だけに・・・??

P1170853

この塔は立派だーすごいな!
ちょっと小さなお寺には、違和感のあるくらい。

P1170854

このお不動さん、織田の兵火から逃れた像なのかな。
どうだろうか・・・・にしても、不動明王が安置されてるだけで、
どうしても武田的な何かを連想したくなる(笑)

P1170856

ということで、まぁわざわざなかなか行かんだろう、
という武田史跡のご紹介でした(笑)

blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。
blogram投票ボタン

| | コメント (0) | トラックバック (0)

去年の今頃はシリーズ(4) 徳川家霊台・奥の院信玄公・勝頼公・馬場美濃守供養塔

さて、徳川家霊台にも。てか、高野山にあるんだ、
というくらいのうっすい印象でごめんなさい・・・

入ってすぐ枡形虎口でびっくり。そいや、日光東照宮や、
久能山東照宮でもこういう枡形の部分があったかなぁ・・・・

P1170731

P1170732

家康廟。瑞鳳殿や大鋒寺の信之廟に割りと近い、
江戸時代初期の霊廟建築の標準的なスタイルに思えます。

P1170734

色は褪せるがままの状態というのも廟としては
けっこう珍しかったりしませんかね。

葵紋も初期の葉の茎が長いタイプ。
高野山ですから、一度も焼失することなく、
また部材が交換されることもなく、ずっとあるのでしょう。

P1170739

隣は秀忠廟。江戸は空襲で焼失したし、
日光には家光つくってくれないし(笑)・・・
何気に貴重かも秀忠廟。

P1170742

戻り道で差し掛かって、「井」の字を発見。
井伊家縁なのでしょうね、福智院。

P1170744

P1170747

P1170746

そして、お昼。あんまり実は食べるところがないんだな、
と知ったわけですが、こんな暖簾見ると、
入らないといけないですよね?ね?ね?

P1170748

が、天皇陛下がご参詣される際にお食事を供される
ほどの高級店でびっくり!バッテラでやっとでした・・・
おいしいですけどね!武田菱ありますけどね(違)

P1170751

さて、奥の院までの道。いろんな歴史上有名な武将たち、
江戸時代の藩主などの墓が立ち並びます。

P1170754

立花宗茂供養塔。 形式は先の真田信幸と同じですね。

P1170755

拡大。割と読みやすい宗茂さんです。

P1170757

筑之後州柳川城主前飛州太守
従四位源宗茂公追□也
奉爲大圓院殿松隠宗茂大居士
成三菩提也
嗣子立花左近将監従四位下
源忠茂朝臣建立之

だいたい文言はみな共通の形式をとるもんなんでしょうね。
しかし、このペースで見ていると、いつまで経っても
先に進めないではないかぁ!ということでペースアップ。

最上家親供養塔。最上氏は彼だけだったような。
やはり大名格でないと、供養塔建立は難しいのか・・・

P1170761

家信造立之、とあって家信って誰よ?と思ったら、
義俊の初名が家信だったそうで。「家」を避けたのかなぁ。

島津家供養塔。このあたりは江戸時代半ばから幕末あたり。

P1170768

島津重年。「薩隅日三國主兼領琉球國」にビビる。
「領琉球國」って堂々と書いちゃうんだと・・・

Cbecmyhviaagkik

小田原北條氏。どれどれ・・・

P1170773

P1170774

弘化というと幕末の元号。ということはこれは、
大阪狭山の狭山北條氏・・・
河州狭山舘北條相模守氏久 爲父氏喬建立之とあります。

P1170776

拡大。

Cbeianusaeydvy

しかし、氏喬は最終的には遠江守になっていて、
氏喬も、これを建てた氏久も最初の任官が相模守、
ということになにやら感慨深く思ったりするわけです。

そして、狭山北條氏とは書かず、あくまで小田原北條氏。
「小田原」北條氏と敢えて書いた意図はわかりませんけども、
プライドみたいなものを感じたりしますよね。勝手ですけど。

そして・・・久方ぶりの、わが御屋形様と勝頼公。
まずは御屋形様。恵林寺殿俗名武田信玄とハッキリ読めます。

P1170783

天正元癸酉年四月十二日逝去
天正乙亥年三月六日建立

とあります。

P1170782

乙亥年とは天正三年、長篠合戦の直前ということになりますが、
実は、これ成慶院の『武田家過去帳』における建立日が合致。
この日、『武田家過去帳』によれば、山縣昌景が高野山を
訪れていることがわかっているんですよね!
まさしく当時に建てられた供養塔なんでしょうね・・・

さらに、高野山にも分骨されているということから考えると、
実際に、この供養塔に御骨が埋葬されていて、
いわゆる墓といってもいいのかもしれませんね・・・・

そして、妙心寺供養塔と同様、天正元年四月十二日であり
ここでも「未来年号」がつかわれている点にも注目。

続いて勝頼公。こちらも俗名勝頼、
法泉院殿、としっかり判読することが可能。

P1170785

残念ながら、建立日と没年の確認は失念・・・・
妙心寺の首塚から分骨されたりしているのか、
そもそも建立の経緯は・・というのも気になります。

ま、このときは御屋形様のことが知れたことで
いっぱいいっぱいだったのですがね(笑)
また宿坊にも泊まりたいので、そのときもう一度確認します(汗)

さて、まだ重要なお方が残っております・・・
信翁乾忠大居士、さてだーれだ!

P1170793

馬場美濃守なんです!信翁乾忠大居士、
信州真木嶋城主 馬場美濃守信房とあります。
これも、甲州日牌帳と戒名が一致。

P1170796

甲州真木嶋城主 馬場美濃守源信房
天正三乙亥・・・後は読めないです。
しかし、真木嶋城は牧ノ島城で信州だと思うのですが、
どうしても甲州と読めるんですよね・・・

左右には、子息と思われる人物。
右手には、蓮華院照山慈源大居士、
馬場民部少輔信忠とあります。信州於深師死、
という部分はよくわかりません・・・深志城にて討死、
と伝えているのかもしれません。

左手には、知門院紹勇躰生居士、
馬場左近房義とあります。民部少輔の弟でしょうか。

丸島和洋先生の「甲陽雑記 ー ○高野山調査・冬の陣(1)
では、この両名はまだよく誰だか判明していない様子。

その他、榊原康政・本多忠勝・島津家久(忠恒)らの
供養塔を見て回りました。

興味深かったのが、遠州掛川北條家・・・どこそれ?

P1170813

どうも、これ北条氏重といい、北条綱成の子氏勝に
保科正直の四男だった氏重が養子入りして、
玉縄北條氏を継いでいたのだそうです・・・

碑文。

P1170814

遠州懸川城主北條出羽守
平朝臣氏重公後室造立之
證心院殿自安□
妙體大□逆修
杦原耆伯守息女
寄萬治二己亥夭七月□日

どうも万治元(1658)年に氏重が没しているので、
時期的にはいいのですが、「逆修」の意味するところと、
「氏重公後室造立之」という関係がちょっと不明。
逆修であるならば、生前供養なので時期的に合わないので…

ということで、高野山はこれにて終了。
なかなか得がたい経験と情報をたっぷりいただけましたな。

おまけ。なんばまで戻ってくると、階段が真田丸。
けっこう早くに無くなってしまったようなので、
撮っといたのは貴重かも。ふふふ。

P1170820

blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。
blogram投票ボタン


| | コメント (0) | トラックバック (0)

去年の今頃はシリーズ(3) 武田家宿坊・持明院/櫻池院、真田家宿坊・蓮華定院

さて、例によって時系列は前後しますけども・・・
流れで高野山話。以前から行きたかった高野山宿坊。

江戸時代に統合されてしまいましたが、武田家の宿坊であった
引導院と統合した持明院に泊まったのが昨年2月。

◆持明院◆

持明院というと、勝頼・信勝・北条夫人寿像や、
武田晴信寿像の保有元
としても知られておりますが、
檀家は何も武田家独占というわけでもなく、
伊達家や京極家とも檀家関係を結んでいます。

高野山までの道すがら、南海電車の真田丸仕様車を発見。
もっとも後に乗ることになるのですが・・・それはまた後の話。

P1170660

高野下からケーブルカー、ひいてはバスでゆらゆら~っと。
着きました。持明院。

P1170663

いきなり間違えて、勝手口から入ろうとした不届き者は
わたくしであります・・・・申し訳ありません。

宿坊の堂宇は、明治期の大火の後の再建ではありますが、
立派な風格のあるもの。

P1170696

P1170697

そして、花菱センサー発動(笑)
あちらこちらに花菱があります・・・・火災で史料に乏しく、
ハッキリしたことはわかりにくいようですが、武田家由来でしょうね。

P1170701

P1170702

P1170705

湯飲みにも・・・尤も、花菱だけではなく、
京極家の四つ目結も描かれてあるんですが、
写真に撮ってないという(笑)

P1170666

お夕飯。精進料理と聞くと、さぞかし味気のない…
とかって想像してましたが、とんでもない!

P1170667

高野豆腐はさすが、鍋物の出汁が最高。
お出汁をうまく使った料理はありがたいですね・・・

お風呂では外国人の方と遭遇。この日だけか・・と思ったら
けっこう外国人の方が多いらしく、持明院でも
お一人英語に堪能な方がおられるようでしてね。

確かに日本的なものの体験にはなりますよねぇ。
って、日本人にとってもなかなか体験できないことですけど。

ま、消灯も早いわけですが、ツイ廃しなければ(笑)
特にほかにやることもなく、本を持ち込んで
本を読み込むのもいいかもしれませんよ。

このときは、高野山の武田家宿坊に関するコラムを
読んだりしてましたかねぇ・・・

翌朝。お勤めに参加します。けっこうわたしギリで、
お堂に向かったんですが、しまった・・・・!!

P1170672

というのも、暗い向こうにかすかにご位牌が見えましてね・・・
しまったぁぁぁぁ、ご位牌拝見する時間ねぇぇぇぇぇ!!

まもなくお勤め開始。あぁ・・・
まぁ、また泊まりに来ればいいんだと思い直し、
手を合わせます。般若心経の部分がわかるのがうれしい。

この日は特別に護摩祈祷をされてる日だったので、
合わせて拝見させていただきました。

P1170682

朝ごはん前にうろうろしていると、
とあるお部屋に、浅井長政像と市像(たぶん複製)を発見。
持明院、この両像もお持ちだったんですね。

P1170686

ほかなんかないかな~とうろうろしてますと!
金物の水差しに花菱発見!これ・・・なんかゆかりあるか!?

P1170693

引導院には勝頼遺品が奉納されたとあるから、
その中のひとつじゃないかなーなんて想像。

ということで、短い時間ではありましたが、
なかなか堪能できました。ご位牌の件だけでなく、
写経の申し込みを忘れていたのが心残り。
次回は絶対忘れないように・・・!!

こちらのお札もまた・・・(花菱に目が行く)

P1170815

◆成慶院◆

ということで、翌朝持明院を出てテクテク・・・
と向かったのは、櫻池院。
櫻池院自体は、武田と関係は本来はないのですが、
明治以降、武田家のもうひとつの宿坊・成慶院を
こちらが管理されているのです。

P1170707

こちらには割菱が配されていますね。
櫻池院と武田家の所縁の新しさゆえでしょうか。

成慶院の碑もあります。「武田信玄公菩提所」

P1170706

成慶院も、もちろん武田専属ではなくって、
信濃や上総・下総あたりと師檀関係を結んでいる様子。
他に目立つところでは、会津藩(保科・松平氏)、
大和郡山藩(柳澤氏)あたりとも関係があって、
このあたりは武田所縁というところに、関心が向きますね(笑)

とはいえ、お泊りしないと中は詳しく入れないので、
やはりここも機を改めて、来ないといけませんな。

P1170710

P1170711

成慶院はこんな感じ・・・えらく現代的な、
見たところ鉄筋コンクリート造です。
往時の建物は焼失でもしたのでしょうか・・・・

P1170717

とはいえ、甲斐国供養帳や信玄公ゆかりの文物や
ご位牌は残されてますので、うまく難を逃れたのでしょうか。

続いて、蓮華定院。ここも有名になりましたかね、
真田家と師檀契約を結ぶ宿坊。

P1170719

P1170720

P1170721

とはいえ、泊まっているわけではないので、
信之・信政の供養塔にだけ、手を合わせに行こうかと。

P1170724

真田丸では、描写が省かれましたが、
第二次上田合戦・関が原合戦後、昌幸・信繁一行は、
まずこの蓮華定院に入ったのだそうですね。

裏手にある供養塔。向かって右手が信之。

P1170728

左手が信政。

P1170726

まわりは梵字で守られております。

P1170727

特に、信幸供養塔の刻印が興味深いんですよ。

奉為信州埴科郡松城之城主
従五位下前真田伊豆守
滋野朝臣信公道諱
大鋒院殿徹巖一當大居士
一周忌追善也

大施主真田右衛門殿爲祖父造建之
□萬治二歳巳亥十月十七日

そう・・・信幸、と関が原以前の諱で記されてるんです。
尤も、一度「信之」にしてからわずかな期間「信幸」に
戻した時期はあるそうなのですが、これは信之死後に、
後を継いだ孫で、信政の子である幸道が建てているのです。

が。

幸道は当時2歳。改名時期はわかっていませんが、
元服後、当初の諱は信房だったともいいます。

とすると、幸道本人の意思ではなく、誰か後見する立場、
もしくは家老クラスの指示によるものと考えるのが自然でしょう。
なぜ「幸」の字にしたのか、後に幸道と改名し、
後に続く、通字が「信」から「幸」に戻っていくことと関連するかも?

ちなみに、信政のほうはこうあります。

奉爲信州埴科郡松城之城主
前真田内記従五位下
滋野朝臣信政公道諱
圓陽院殿威良一中大居士
一周忌追福也

大壇主□子真田右衛門殿造立之
□萬治二歳次巳亥二月五日

なかなか興味深いですね。こういう謎を解けなくとも、
見つけるだけでもなんだかわくわくする、それもまた歴史の楽しみ。

blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。
blogram投票ボタン

| | コメント (0) | トラックバック (0)

去年の今頃はシリーズ(2) 妙心寺玉鳳院@2016年

さて、正月に続き、去年の今頃はシリーズ(笑)
今ちょうど、甲府と上田に来てまったりしておりますが、
昨年は・・・名古屋城の見学会と京都へ。

今まで、京の冬の旅というJRの企画には
あまり惹かれてこなかったので、これに合わせて、
京都に出かけるってことは、あまりなかったように思うんですけど、
ふと目に付いたのが、玉鳳院。

いつもこの時期に公開されているわけでもないようで、
これはチャンスということで、このためだけに京都へ。

P1170600

ちなみに、今年は維新150年ということで、
幕末維新にゆかりのあるお寺が中心のようです。

妙心寺というのは、武田家とも縁の深い京の寺院で、
恵林寺を信玄公が再興し、菩提所に定めた際に
円覚寺派から妙心寺派になったんですね。

ということで、妙心寺とのツナガリは即ち、
信玄公とのツナガリの始まりということでもあるわけです。

仏殿を抜けて、玉鳳院に向かいます。

P1170602

法堂の角を右に曲がります。

P1170603

唐破風の門、向唐門。

P1170608

こちら、平唐門。
開山堂前の門じゃ珍しい正面(桁側)ではなく、
向かって左右、つまり妻側に唐破風があるんですよね。

P1170621

後小松帝時代の御所の門だそう。
後小松帝というと、南北朝末北朝の最後の天皇で、
神話時代も含めて、ちょうど第100代天皇。

ということは、応仁の乱などの度重なる大火にも
耐えてきたものすごく貴重な門ってことだ。。。!!

さ、貴重な内部に入らせていただきます。
よ、よめにゃい・・・

P1170609

玉鳳院。こちらは明暦2(1656)年の再建。

P1170611

とりあえず、花菱センサーが引っかかりました(笑)

P1170612

そして・・・・信玄公、勝頼公、信勝公、典厩信豊殿の
供養塔にお参りをいたします。撮禁なので、写真はありません。

まず、信玄公ですが御自ら妙心寺派とお定めになったこともあり、
御遺骨の一部が妙心寺にも分骨されてるそうで、
この供養塔は、いわゆる御骨のある墓所といえるかもしれません。

また、同時に高野山にも分骨なされているそうですが、
高野山の過去帳、および高野山信玄公供養塔の御戒名とも
一致していて、「恵林寺殿機山玄公大居士」とありました。

お参りしたときは、「法性院殿機山玄公大居士」という、
甲府市岩窪の火葬塚にある戒名を思い出したので、あれれ・・・
と思っていたのですが、「恵林寺殿」が正しいのですね。

ということで、あの岩窪の石棺は怪しいとか何とか・・・
ま、あれはあれで地元で長く弔われてきた供養塔ですからね。

そして、勝頼公。当時妙心寺五十八世の南化玄興師は、
恵林寺の快川国師はじめ、武田家に縁のある高僧と親交が深く、
また、信玄公と同じく勝頼公の御代にも続いていた様子。

京で、勝頼公の御首が晒されたと知るや、信長に嘆願して貰い受け、
妙心寺に葬ったとされるわけです。南化玄興師は信長からも、
信用を得ていたそうなので、首を貰い受けられたとか。

というわけで、ここにはいわゆるいずれの皆様もその御遺体が
お眠りになっている墓所、ということになるのでしょう。

特に、勝頼公は真田丸でちょうど大きな反響と関心を呼び、
勝頼公復権元年になろうとしていた時期。
勝頼公はどのように、この趨勢を黄泉からお感じになっているでしょう?

少し気になったのは、仁科薩摩守信盛の供養塔はないんですよね。
仁科殿はどちらでお眠りなのでしょうか・・・

戒名は次のとおり。

武田信玄公:恵林寺殿機山玄公大居士
武田勝頼公:法泉寺殿玉山龍公大居士
武田信勝公:春山花公居士
武田信豊殿:英叟知雄居士

信豊殿の戒名が特に気になりました。
英叟知雄、勝頼に特に近しく、頼りにされていた副将。
父の古典厩信繁と比べると、どこか影が薄いようにも思いますが、
その勇猛ぶりが想像できる文字が並んでいますね。

ちなみに、信玄公の供養塔のみハッキリと年号を
読み取ることができました。

『天正元年四月十二日』とあります。当時は元号が替わったら
バックデートして年全体がかわるのかな?本来は、元亀四年なのに、
と思っていたのですが、後に丸島和洋先生から、
「未来年号」という概念があるよ、と教えていただきました。

つまり、明らかな偽作の場合だけでなく、「未来年号は比較的
近接した時期に、過去を回想して遡った日付で書かれた場合」に
おき得るということが、服部英雄氏のWebで言及がありました。

信玄公の本葬儀を経て、妙心寺に分骨ということであれば
三回忌の頃ですから、このケースに当てはまりそうですね。
そんな発見もあったお参りでありました。

そして、普通はまずこちらに関心が行くのでしょうけど、
織田信長・信忠供養塔もあるんですよね。
何の因果か・・・とも思いますが、南化玄興師と信長の関係を
考えれば、等しく関係の深かった人物を葬るということなのでしょう。
死ねばみな等しい・・・のでしょうな。

今年はだめですが、また玉鳳院の公開があれば、
今後はぜひ継続的に行くようにしたいと思った次第であります。

blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。
blogram投票ボタン

| | コメント (0) | トラックバック (0)

謹賀新年2016-2017 (西日本三城と安居神社)

皆様、明けましておめでとうございます。
例年正月には更新しないのですが・・・・ちょっと気まぐれに。

これが2016年のネタの初回という、今何年だっけ?
というハナシなんですがね・・・

昨年も今年も初詣は京都。木屋町で飲んでから、
その足で・・・というのがここ数年の定番化。

2016年。

P1170284

P1170289

P1170290

2017年。

P1260020

P1260022

P1260024

まぁ・・・・撮ってる写真の代わり映えのしないことよ(笑)

しかし、ここからが違いました。昨年は、
「元日・JR西日本乗り放題きっぷ2016」というきっぷで、
無駄に(笑)福岡・広島・岡山を1日で行ってきました・・・

◆2016年◆

が、これもうしないな・・・お城行くくらいならいいんですが、
モトをとろうと無理しちゃうと、何しに行ったんだっけ?
になりかねないキケン(笑)なきっぷです。

■福岡城■

ということで、下の橋御門。

P1170297

P1170299

続いて、松ノ木坂御門。現況・古写真・スケッチ。
武具櫓が期待第一なんですが、松ノ木坂御門も
もし復元できたら素敵だなーと思う櫓門。

P1170302

P1170303

P1170300_2

福岡城って、円い石の石垣がけっこう特徴だと思うんですよね。
ということで、一度気づいてからついつい注目しちゃうポイント。

P1170305

P1170307

本丸裏御門と古時打櫓台石垣。古時打櫓とは、
現・伝潮見櫓。御門復元はともかく現位置に移動だけでも
してほしいものですのぅ。そのほうが近くで見られますしね。

P1170310

P1170309

この櫓ですね。赤丸印。

4564645

天守台裏、鉄炮櫓下桝形。ここそういや
ちゃんと今まで見てなかったですが、
枡形の袋叩き感が満載で、けっこう萌えポイントかも!

P1170313

P1170314

P1170315

鉄炮櫓跡に上がってみると・・・まさに鉄砲の餌食間違いなし!

P1170317

P1170318

P1170319

鉄炮櫓というだけあって、鉄砲が保管されていたのでしょうけど、
やはりここに保管されているというのは、即戦力になる
防御ポイントだからというのもあるんでしょうなぁ。

天守台の南西に当たる鉄炮櫓から南側に抜けると
最も注目(わたしだけ?)されている武具櫓跡。
ちょうど天守台の真南に当たります。

P1170321

P1170322

武具櫓石垣。正確に姿が判明していて、
かつ見栄えのする櫓って、武具櫓だと思うんですよ。
福岡城もよくわかんない天守天守と言わなければ、
気持ちよく整備計画に賛同できるのですが…

Cxmkkg2ueaameio

Cxmkpwxuqaa_xoh

武具櫓の曲輪からの大小天守台。

P1170324

城ファンからは怨嗟の声が上がった天守台の梯子。
まぁ、一応石段に保護シートを付けてコンクリ基礎を付けていて
遺構は保護されてはあるのですが・・・もやっとしますな。

P1170328

P1170327

先ほどの鉄炮櫓下の枡形を小天守側から。
袋叩き感がすごいよね。ひー!

P1170333

大天守台穴蔵。なぜだかこの日は中国語に
囲まれる福岡城でしたね・・・

P1170339

ここの天守台は穴蔵の規模を堪能するに限りますねぇ。
建っていたかはともかく、相当な規模。
穴蔵の大きさ比較とかちゃんとやったら興味深いだろうね…

本丸裏御門と古時打櫓台石垣を天守台から。
今の下ノ橋御門そばより、映えると思うんだが…

P1170341

天守台下。鉄御門と埋門の間の桝形構造。

P1170340

さて戻ります・・・個人的に復原希望の扇坂御門。
門を抜けた扇状の階段をね…中津城にもあるし、
なんとなく黒田家らしさの出るポイントではないかと思いません?

P1170345

東御門桝形。あれ天端石崩れてる?

P1170348

東御門桝形イラスト。門の前が完全な
枡形になっていなくて、門を抜けると枡形になってるの、
どういう発想からなんだろうなぁ。

P1170350

きわめて広島城に酷似した(笑)福岡城天守想像図。
かっこいいんだけどね・・・かっこいいんだけどね・・・
でも、想像なんだよなー・・・根拠ないんだよなー・・・

P1170351

わたしがなぜか1000億円くらい手にすることになって、
お城でも造ったるわい!ということになったら、
天守はこれで行きたいと思いますけども(苦笑)

石垣整備完了した上ノ橋大手門。
桝形素晴らしくなって、けっこう見所になったはず、
なんだけど誰も見に来ない。今年はどうだろう?

P1170356

P1170357

P1170360

P1170362

きれいに枡形が復元されているのですが、その先には
簡易裁判所に遮られて、ここから城内に入れないというのが
ちょっと難点ではありますね・・・・

P1170361

さてお昼。けっこう探した記憶がありますが、
無事にモツ鍋おビールセット☆

P1170366

そして、その足で広島へGo!

■広島城■

広島城は、廣島護国神社があるためか、かなりの人出。

P1170369

P1170372

ほら・・・やっぱり想像上の福岡城天守=広島城天守じゃないか!

P1170394

P1170386

さて、天守内の展示をさくっと見ていきます。なかなかいい展示。

P1170367

とりあえず、気になったお城を列挙・・・吉田郡山城、五龍城、小倉山城、
日山城、吉川元春館、新高山城、頭崎城、佐東銀山城、
鳥籠山城、相方城、比熊山城、一乗山城、亀居城。

まずもって、吉田郡山城はキッチリみたいですよね。
それと武田ツナガリで安芸武田の本城、佐東銀山城あたり。

展示はよかったんですが、肝心の広島城は着いた時には
けっこう時間が遅かったので、大して遺構をみるわけでもなく、
広島城天守かっこいい、広島城天守かっこいい・・・!!
と写真撮るだけで終わってしまった広島滞在(苦笑)

しかし、お堀ですが、きれいに藻を掃除したら、
ドライスーツ着て壕底探索できそうな?くらい、
わりと透明度がある印象。なかなか藻の掃除大変でしょうが。

P1170397

■岡山城■

さて、そんなこんなで夜の岡山城に移動。
岡山・・といえばここ数年、通っている小豆島ラーメンへ。

P1170406

小豆島といえば、醤油ですからね・・・(極私的には)

さて、岡山城はもはやライトアップ撮るだけ。
だけなんですが、岡山城好きすぎてですね・・・・
撮るだけでも至福なのですよ。

P1170412

P1170417

P1170420

P1170431

P1170437

P1170438

P1170453

P1170458

最後の一枚なんて、入母屋部分が暗く隠れているから、
望楼型天守らしさがわかってなかなかいいなーと自画自賛してみたり。

しかし、角度を変えるごとに違ったフォルムを見せてくれる面白さが
何より楽しいのと、やはりライトアップのときの、
漆黒の引き締まったカッコよさが何倍にも増幅するのがもう・・・!!

広島城天守、岡山城天守が現存していないのとが
ホントに悔しくてなりません。

◆2017年◆

さて今年は、昨年真田丸でフィーバーしたこともあって、
安居天神にきてみました。わりと高校が近くって、
行こうと思えば何時でも行けたはずなんですが、
大阪に住んでいたときは、行こうともしなかった・・・・

のまえに、茶臼山陣城跡。もちろんここも初。

P1260025

P1260026

P1260027

茶臼山そのものよりも、レーダーで見つかった?
丸馬出のほうが気になるわたし。

こちらの復元図によると、ここが丸馬出の内側にある
壕跡に相当するようです。高低差もありますし、
降りてみても壕感がかなり残っていますよね。

P1260028

P1260030

残念ながら丸馬出感はちょっと感じることは難しいですが、
復元されたらいいんだけども・・・無理か。

そして、近くの安居神社。ここもね・・・初なんですよね・・・
まだまだ戦えそうな感じの幸村さんですな(笑)

P1260034

P1260035

先の真田丸総評でも書いたように、やはり真田信繁という人物に
興味を持てなかったからこそ、来ていなかったわけで、
映像の力ってのは大きいもんですな。
堺信繁の最期を想いながら、お参りしました。

銅像の寄進者の中に、信綱寺や真田姓の皆さんが
ちらほらいらっしゃるのも気になりましたね。
ただ、いわゆる仙台真田家のよく出てくる系図にある方々では
なかったので、この真田さんはどういう・・と調べると。

ひとつ調べあたったのは、真田大助の子孫の名乗る方
ほう・・・大助の子が・・・まぁ・・・いいんじゃない・・でしょか?

それよりも気になるのは、北面・西面の深い落ち込み。
南からは一心寺からなだらかに安居神社まで
つながっていますので、ここも城域だった時代があるのかもしれません。

P1260046

ということで、16年は天守、17年は陣城とある意味、
二年続けてお城だった元日でした。

blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。
blogram投票ボタン

| | コメント (0) | トラックバック (0)

嗚呼濃密なる二〇一六年也。

さて、後半あまりblog書けない間に、
2016年も終わろうとしています。

Twitterでもそうですが、ほんとに楽しいときは、
レポツイなんてやってる場合じゃなかったりするのですけど、
今年1年間の休日がまさにそんな感じだったように思います。

ということで、多くの楽しい記憶はちょうど1年後に
振り返ろうという壮大な企画を考えました(爆)
また周回遅れにならないようにしないと・・・

まぁ、しかし今年は真田丸フィーバーだけでもすごいのに、
武田家関連の展示・講演のラッシュがすさまじい・・・

真田丸+武田に関連するイベントを列挙しますと・・・

❖講演会・トークショー❖

・山梨文化学園第84期『武田氏と真田氏』
・大河ドラマ「真田丸」 研究者とアイドルの歴史トーク
・第四回・恵林寺講座「平山優先生に聞く武田信玄公 品第一」
・第五回・恵林寺講座「御一門衆 武田信繁・信廉を中心として」
・『武田信玄とその家臣』NHK大河ドラマ「真田丸」
  時代考証担当平山優さんによる講演会
・OSAKA STATION CITY@真田丸[ステージイベント]
・「武田二十四将展記念講演」
 第1回「武田氏家臣団総論」丸島和洋氏
 第2回「武田氏と国衆」黒田基樹氏
 第3回「武田氏の軍制と家臣団」 平山優氏
 第4回「武田氏滅亡後の家臣の動向」海老沼真治氏
・歴史文化教室第2回『武田氏と甲府五山』
・真田丸を語り尽くすトークショー@西股総生先生
・「真田丸」トークセッション in 銀座
・平山優と巡る上田城と特別展「真田丸」
・歴史文化教室第六回『武田家と家臣の信仰世界』
・武田神社崇敬者大会記念講演
・『真田丸』トーク!トーク!トーク!~毎日ライブin信州上田~
・考証三人衆真田丸シンポジウム
・真田丸最終回パブリックビューイング
・諏訪原城といえば丸馬出!

❖企画展示会❖

・「武田二十四将展」@山梨県立博物館
・「風林火山!駿河を駆けた武田軍団展」@藤枝市郷土博物館
・「川中島の戦いと真田」@長野市立博物館
・「戦国の絆」@真田宝物館
・「真田氏をとりまく武将たち 第一期
   ~真田太平記に描かれた武田氏~」
 @池波正太郎真田太平記館
・「真田丸展」@江戸東京博物館
・「真田丸展」@上田サントミューゼ
・「真田丸展」@大阪歴史博物館
・「国宝信貴山縁起絵巻」@奈良国立博物館の特別展
 (信貴山朝護孫子寺所蔵の武田信玄文書)
・「戦国時代展」@江戸東京博物館

❖お祭り・慰霊祭❖

・信玄公祭り
・松姫400年祭
・仁科盛信慰霊祭
・武田勝頼公まつり
・米沢川中島合戦祭り

❖武田史跡訪問❖

・甲斐武田家史跡オフ
・和渕武田家墓所再訪
・妙心寺玉鳳院…信玄、勝頼、信豊・盛信供養塔
・持明院泊…高野山武田家宿坊
・鷲林寺…伝信玄墓
・棒道踏査 …真田町~松代、地蔵峠越え
・信玄袈裟@豊橋・神宮寺
・古宮城
・丸馬出の城探訪…牧ノ島・小長谷・大島・諏訪原

・・・圧巻ですね(自分で書くのもなんですが)
何気に上田真田まつりを外しているのがイタイんですよね。
まさか昌幸ぱぱん始め、あのような面々が起こしになろうとは・・・

もう全然消化できてなくて、ある意味ではうれしい悲鳴なんですが、
記録はしっかり残ってるはずなので、掘り返していって、
2017年に向けてしっかり血肉にしていきたいですね。
まだ読めてない本もたくさんありますし・・・

ということで、1年通して、武田・真田でフィーバーした
1年ということで、記憶に残る年になりそうです。

他のジャンルでいいますと・・・その分、お城(武田真田関係除く)
やウイスキー関係も参加はしましたが、ちょっと低調。

◆ウイスキー◆

ウイスキーはやはり原酒不足がまだまだ尾を引いていて
新しい発見という意味では、なかなか厳しいかな、と。
昨年はマッサンがあって別の盛り上がりがありましたけどね。

BARSHOW、京都ウイスキーパーティ、「酒育の会」、
ウイスキーフェスティバル東京・・・

「ウイスキーライヴ・パーティ 2016」はよかったのですが、
ある意味、古き(といってもほんの数年前)よき時代のウイスキーを
楽しむという感じでちょっと回顧的だったかなぁ。

しばらく、あと数年、ひょっとすると10年以上は
こういう忍従の日々が続くのでしょうな。
とはいえ、今年は蒸留所が日本にたくさんオープンした年、
でもあったわけでして、今後徐々に楽しみは戻ってきそうですが。

群を抜いて今年印象に残るのが、余市マイウイスキーづくり。
ついに上級編に行くことができましたっ!
それもものすごいご縁があって、譲っていただけるとは・・・チャーンス!

が、当日まさかの仕事がかぶるというピンチがありましたが、
なんとか終わらせ、タクシーをぶっ飛ばして余市へ!

内容を書くのは当面先になりそうではありますが、
この10年を経て受け取るときに、どのような気持ちで受け取るのか、
今年の激動をどう10年後振り返ることができるのか楽しみです。

もうひとつは、香港・台湾の旅。香港は関係ないのですが(笑)
台湾はほぼウイスキー目当ての旅。カバランはまぁ知ってましたが、
南投がよかったなぁ。期待が持てそうだし、人間関係もおもしろいしね!

◆城◆

お城関係で言うと、元日の福岡城・広島城・岡山城と、
西日本の好きな近世城郭をまわったのと、
リニューアルした小田原城天守、
ばったび城跡探索会@江戸城、松本城外郭めぐり・・・くらい?

武田と絡まない山城は行かなかったですねぇ・・・
ま、そゆ時もあっていいでしょう。

むしろ、年末のお城EXPOがよかったですね。
あれはあれで、講演偏重な感はあったんですけども、
熊本城の講演、石丁場の講演が興味深く今後の繋がりそう。

あと、今年はわりとゲーム関係もあれこれあったかな。
ドラクエ30周年ということで、

・ドラゴンクエストライブスペクタクルツアー
・ドラクエミュージアム

がありましたね。特にスペクタクルツアー!
ドラクエの新しいカタチができていて、ただのゲームではなく
ゲーム文化となっていくような躍動を感じました。
しょこたんがもうアリーナそのままだったよねぇ。

あとメインカテゴリ外としては、そうかえん。
これもご縁なんですけど、とある筋からチケットをいただけ参戦。
これで2回目・・・何度言っても迫力大でありました。

-------------------------------------------------------

・・・とここで締めてしまうと、いい年だったじゃーんなんですけども、
まぁ、プライベートや家族のことではツラい1年。
ひとつは解決するめどが立ちましたが、いい方向に向かうか?
と思った今年の夏と秋、どん底に落とされました。

これだけ走りながら、まとめもせずに貪欲に楽しみを求めたのは、
その穴埋めを求めていたのかもしれません。

詳しくは書けませんが、生き方を間違えたなぁと思うこともありました。
がんばらなければよかったと思った自分に気づいたとき、
過去の自分が残した手紙なんて、もう申し訳なくて読めないわけですよ。

自分のモチベーションの源としてきたことが、どんどん
世の中で求められていかなくなる寂しさと不安。

その中で過去にやり遂げたことが根拠もなく、
この先もその延長線上に進んでいける、と思われてしまうやるせなさ。

生き方を変えなければいけないと思っても、
自由に変えることはできず、言われたように合わせるしかない。

そんなのもう辞めちゃえばいいんじゃないの、と言われるかもしれませんが、
元の生きるモチベーションの設定の仕方が間違っているから、
じゃぁ、何をしてモチベーション高く生きていくか自信が持てない。
そんな悶々とした半年でした。どうなることやら・・・

そして、冬。

思いもかけないことが起こりました。まさか、家族がこんな病に
かかるだなんて。本人たちよりも離れて暮らしている
わたしのほうが動揺してしまって、、、

今後何が起きても不思議ではない状態。
ただ、救いは本人がさほど深刻がらず、辛そうでもないこと。
それだけは本当にホッとしています。

2017年、どうなりますか。

「えらいことになった」
「大博打のはじまりじゃぁ」

と言って、激動の時代を切り抜けた真田丸の昌幸。

「捨て鉢にならず、最後まで望みを捨てなかった者に
のみ道は開けまする」

後にこう言えるようになってればいいなと、
修羅の道を進むしかありません。
他人から見れば、恵まれてるくせにって言われるかもだけどね。
何が恵まれてて、何がつらいかはその人じゃないとわからないのさ…

好きにつけ、悪しきにつけ、今年はありえないほどの濃密さでした。

さて、今後は1年前くらい(笑)の出来事を振り返る
という感じで、この濃密な2016年をblogで振り返っていこうと思います。

2017年は、棒道オフの再開や丸馬出オフあたりを
企画して皆さんと行ければなーという感じで、
できるだけ行動範囲は狭めに、そして本をたくさん読む時間に
当てたいなと思っている次第です(できるのか?笑)

今後ともよしなにお願いいたします。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

武田ヲタクの極私的真田丸総評。

真田丸、終わってしまいましたね。
なかなか2016年のblog記事を書いていませんでしたが、
2016年の心に占めるかなりの部分を真田丸がもっていきました。

ってことで、今のうちに思ったことを・・・
ちなみに、武田家好きということでかなり偏ってるのはご愛嬌(笑)
例によって、各位敬称略にて。

■信玄への憧憬 - 真田昌幸

武田家に強い関心があって、特に武田家滅亡以降の旧臣、
旧民の抱き続ける武田家への思いの強さと息の長さ、
という点に最近興味が強かったのですよね。

その点を1年通じて、個人的にタイミングよく映像化
されたということは、ほんとうに武田家に関心を持つ者として、
幸運というよりほかありませんでした。

真田丸、実はそれほどには期待していませんでした。

それは、三谷幸喜だからというわけではなく、
単純に真田幸村を描くからということだからでした。

このあたりは署名運動をして盛り上げていた
上田市の方には申し訳ないのだけど、昌幸をスルーして
上田にほぼいなかった幸村ばかりが注目されているのを
いつも苦々しく思っていただけに、そういう展開なら
ちょっと・・・と思っていて。

とはいえ、幸村の活躍する場面だけでは
尺が余るのは目に見えていて、昌幸も描くであろう、
それであれば武田家が描かれればいいな、くらいの感覚。

だからこそ、真田丸の発表直後、川中島の昌幸初陣や
長篠合戦あたりから描いてほしいというように思っていて、
滅亡直前からということでまぁ・・・しょうがないかと思って
第1話を見るわけですよ。

まぁ、信玄公信玄公って出てきますよね。わぁぁぁぁですよ、もう。
信玄の霊が出て、そして劇的な勝頼自刃。
あぁ、これはもう武田丸だった、もうこれで救われた・・・と思ったら。

ストーリーが進むにつれ、要所要所で信玄の影が
出てくるじゃないですか。同時期に出た平山先生はじめとする
関連書籍で、信玄と昌幸の師弟関係とも言える
関係の深さを新しく知るということと連動し、
昌幸に通底する忠誠心が、映像の力を借りて
深く深く心に突き刺さっていきました。

単に真田を大河ドラマにするなら、武田家を描いてほしい、
ならば強い武田家の時代を描いてくれなければ
と思っていた、何たる浅はかさ。川中島や長篠がなくても、
これほどまでに存在感強く武田家が描けるのかと。

天正壬午の乱では、ころころ変わる昌幸に
表裏比興を地でいくように見えながら、
真田を守ることと信玄への憧憬を軸にすることで
筋の通った昌幸も見せていく。

この大切なもののためには、何でもする、
何を謗られようとかまわないという姿勢。
良くも悪くも信玄そのものです。
信玄も戦国を勝ち抜くために背負う罪業は
すべて自分が背負うのだという覚悟を持った大将でした。

信玄から軍略を学び、そして信玄の覚えもめでたかった昌幸。
武田家の家臣から一国の大将と立場が変わっていく中で、
大将として持たねばならない覚悟を、あの信玄を象徴する
太刀と向き合うなかで培っていったような気がして、
そんなさままで見ることができるとは思ってもみなかった衝撃でした。

そして信玄の時代を、領国を、記憶を取り戻そうとする昌幸は
この一転についてどこまでも真摯。九度山で亡くなるときだけでなく、
大坂の陣でも、堀田作兵衛が語るなど、何度も何度も描かれ、
そのたびに涙するのでありました。

昌幸がほぼ中心ではありますが、出浦昌相・室賀正武・春日信達ら、
武田家の旧臣らも武田家を懐かしみ、誇りに思い、ただそれでも
消えてしまった武田家の記憶は胸に仕舞って、
各々の道を生きているという武田家の記憶の広がりを感じます。

対立し、謀殺し(これに関しては後述)部下になるなど、
昌幸との立場はそれぞれですが、しかし同じあの武田家の時代を
すごした一員という共通した時代を生きた感。

出浦については、史実でも書状でそのような
「同じ武田家のもとにあった仲じゃないか」という説得をしてたり、
というのをするのを知るとさらに感慨深くなります。

■勝頼の挑戦と挫折 - 武田勝頼

そしてもうひとつ、勝頼。あの儚げで美しい平勝頼の名演には
心を打たれた方も多かったでしょう。
わたしも信玄の幻を見、自分の至らなさを詫びて
信玄の元へ逝こうとする勝頼を見て、
ただただ声を上げて哭くことしかできなかったのでした。

しかし、事前に「武田勝頼と長篠合戦」など勝頼本を読んでいると
もう少し違ったように見えてくるのです。
勝頼は信玄が設定した人生のレールに従わず、
自分の力で人生を切り開こうとした人でした。

信玄や梅雪ら一門、重臣たちは当然、信玄の後継策、
つまり陣代という当主ではない中継ぎとして、
武田家を支える役目こそ勝頼の道と思っていた
とわたしは感じているので、それは衝突はあったでしょう。

信玄は勝頼が当主になれば、その血筋や立場からいって、
ひょっとするとその性格や資質の面からも、
衝突が起こると見越していただろうと思っています。

しかしそれと対決してでも、勝頼は自身の力を恃み、
武田信玄の子ではなく、武田勝頼という大将として生きたいという
強い意志があったと思います。

その勝頼の挑戦があったからこその、あの滅亡直前の達観した様子、
父上がおられたらとつい零してしまう様子、
そして四郎をたっぷりと叱ってやってくださいませ、
と悔いる勝頼の姿をより鮮烈に記憶に残すことになったのです。

偉大な父をもつ二代目のコンプレックスがテーマのひとつにある
ということですが、乗り越えようとした場面を直截的に描かなくても
感じられる、そこがあの勝頼のすばらしいところだったのではないか、
と思えてなりません。

少なくとも、あの勝頼がかわいそう、すべて信玄のせいだというような
そんな単純に割り切れるものではないでしょう。

■武田家を飲み込んだ包容力 - 徳川家康

家康。稀に見るといっていいほど、人間臭く、
またそれゆえの包容力のある描き方。
要所要所で見せられる、下につくものを引き付ける魅力。

天正壬午の乱あたりは、昌幸に翻弄されながらも、この大将ならば、
武田亡き世に主として、命を託すことのできる人物だと思うだろうな・・・と
武田遺臣の気持ちになって、視聴していました(笑)

滅亡した勝頼を武田家中以外で高く評価したのは、家康でしたし、
まさに滅亡する直前で見せた北条氏政への説得、
死した太閤へささげた祈りなど、敵方への真摯な態度というのは、
やはり視ていていい気分になれます。

とはいえ、第一次上田合戦で命を落とす多くの兵は甲州勢だったり
するわけで、微妙な気持ちにもなるのですが・・・

実は、甲陽軍鑑でもある時期から家康は大絶賛されます。
それはもちろん家康に召抱えられたからという側面は
絶対にあるわけですが・・・・

それでも、武田で生きてきた人たちと家康との親和性を感じ、
その一端が今回の内野家康に見て取ることができたように思います。

■描写への不満が残る -小山田信茂&春日信達

物語の大筋にはそう関与はしないものの、不満の残ったのがこの二人。
信茂は第1回からそうなのですが、重臣の地位にありながら、
非常に小物感があり、最期の最期まで小物としての描かれ方。

穴山梅雪の堂々たるさまと裏切る際の苦渋を見せる顔など、
非常にしっかり描かれてあっただけに、その対比になるようキャラ付けを
されてしまったのでしょうか。

信茂には信茂の理屈と大義名分があり、また武田家存続も
図っていました。あそこまで、浅はかに描く必要があったのか?
という点は疑問を感じざるを得ません。

穴山、小山田両氏とも「穴山武田氏」「郡内小山田氏」を読んで
その実際の歴史を読み込んでいくと、なおさらそう思いました。

春日信達はその人となりではなく、事件展開。
史実とは違って、昌幸の指示で信達調略を図り、
しかも信尹に暗殺させるという展開。

単純に信達の殺めて上杉の力を殺いだだけ・・・・で、
信繁・信尹の関係性や信繁の成長の一環を
描くに使われただけ、に思えました。

信達の父・香坂弾正と昌幸との関係を知っているだけに、
そんな仲でも殺めねばならないこともあるでしょうが、
その必然性よりも、信繁の成長を「描く都合」にあわせた
感じを受けてしまい、その点は興醒めでした。

■0から1へ - 真田信繁

主人公である真田信繁については、幸村であろうと信繁であろうと、
実はそんなに関心はなかったのですよね。
勝手ながら、武田家あっての真田という視点からは、
どうしてもこれまで関心をもてなくて。

信繁名の由来だって、確固たる証拠はないわけですし、
あったとしても昌幸の意思であり、信繁がどう考えたか
ということではないわけです。

しかし、あのような昌幸をみてきた信繁であれば、
武田的な何かを生かして、大坂で輝くのだろうという思いを
持たせてくれました。そしてそれは実現しました。

三方が原の思い出を語る昌幸に、
「武藤喜兵衛!その話大好きです!」と応える信繁が、
後に武田の武勇の証の赤備えを出してきたあたり、
昌幸が終生誇りにした武田の欠片の、
わずかでも持っていてくれてうれしかった・・・

それもやはり、よく知られた「真田幸村」としてだけではなく、
真田信繁として、昌幸を中心に生き残った真田家の物語を
描いてくれたからこそだったと思います。

■一般人として歴史とどう向き合うのか

今回の真田丸では、時代考証陣の先生方とドラマとの
しあわせなコラボ、ということが話題になったと思います。

すべてのスタッフの皆様がこれだけ同じ目的を正しく共有し、
1+1が2にも3にもなるような各々の力を存分に生かせる作品になった
という各々のチームワークがまた素敵だったりします。

考証陣の先生もおっしゃっていた、厳しいが気持ちよく
仕事ができたというご感想がなによりそれを表していましたね。

それだからこそ、各関係者のいろんな視点で見る真田丸、
を楽しめたわけで、特にそもそも歴史が好きな人間にとっては、
歴史を専門に研究される方の解説とともに、映像で理解を深めていく
という流れがとても新鮮に思えました。

これまで歴史に興味があったとして、本を読んだりする、あっても
展示会に行く、講演会を聴くくらいのことだったのが、
その講演会・展示会もものすごい充実振り、さらには
SNS等を通じて、歴史を研究している専門家の考え方、
大事にしていること、常識、あるいは歴史研究の問題点…
などなど学ぶことができました。

一方、ドラマはドラマで、必ずしも史実だけというわけではありません。
とはいえ、たとえ史実ではなくとも、史実と史実をフィクションで繋ぐ、
その繋ぎ方の妙で、却ってその史実が引き立つということもありました。

そして、演じる俳優陣の思い、それに先祖を
描かれることになる末裔の方々。
さらにTwitterで流れてくる実にドラマを読み込んだ感想の数々。
それぞれにこの真田の物語への思いの寄せ方があって・・・

歴史について、こういう理解の深め方をしていくというのは
なかなかできることではなく、心から真田丸のある時代に生きて、
そして恙無く鑑賞できたことを有り難く思うばかりです。

そこで、一人の歴史に関心のある者として、
どうしていきたいのか、ただ好きだったり、知識を得たり・・・だけでは
済まなくなってきたという気持ちが真田丸によって、
高ぶってきた感があります。

わたしは信玄を中心に武田家に関心があるわけですけれど、
ただの趣味レベルとはいえ、ストーリーをもって知識や
自分なりの考えを組みたてていけたらいいなと思います。
そして、何らかのアウトプットを出したいという欲。
大河ドラマの影響力を改めて強烈に感じましたね。

完璧ではないかもしれないけど、すごく物語のロジックが
ハッキリしていて、キレイな組み立てだったと思うのですけども、
これって、数寄物語りにも欠かせないなと。

・・・真田丸、思っていた以上にわたしにとって、
偉大な作品になりました。武田家に関心があるにもかかわらず、
風林火山を超えそうなくらいの印象を残した真田丸。

極私的にも2016年は、とんでもなくすばらしいことも、
とんでもなく悲しく、つらいこともそのパワーが桁外れでありました。

本当に精神的に厳しい出来事に向き合っていくための、
大きな力を真田丸からいただいた思いでいます。
真田丸にかかわったすべての皆様に、改めて感謝申し上げたいですね。

blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。
blogram投票ボタン

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«城フェス 2015・・・5!? 後編 武田の城?徳川の城?