城フェス 2015・・・5!? 後編 武田の城?徳川の城?

さて、後半戦・・・の前にブレイクがてらに
フォトコンテストなんていうのもありましたねぇ。

奥月さんはじめ、知ってる皆さんの写真がノミネート。

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個人的にこれいいなぁ。なかなか高松城は再建難しいだろうし、
やりたい気持ちはよくわかりますなぁ。

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撮るでぇとやる気むき出しな城メグさん@熊本城も素敵(笑)

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夕暮れ×天守って、やっぱり鉄板ですね!

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雪の竹田城。わたしもみたことがない・・・
でも、もう怖くて竹田城行けないよなぁ・・・

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フォロワーさん・しんさんの竹田城のお写真。
娘さんと竹田城の一枚。グランプリに輝きました!
超超今更ですが、おめでとうございます(笑)

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竹田城、12月に初めて行ったきりなので、
このような新緑の竹田城みたことないよなぁ・・・あぁ。

・・・ということで、フォトコンの後は、
レポート・高天神城と小笠山砦と加藤先生の講演
「徳川の城・武田の城」という内容。

(1) レポート・高天神城と小笠山砦

小笠山砦とは、武田の高天神城を落とすための
徳川城砦群の代表的な陣城だとか。
高天神城は行っておりますが、小笠山砦は未訪問。

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小笠山砦からみた高天神城。目と鼻の先ですの。

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位置関係。高天神城も北側に向かって、
U字に曲輪が開いているのに対して、
小笠山砦も南側に鶴翼の陣。

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縄張図。高天神城の北に位置し、
南側に対して、鶴翼の陣を構えるような印象を受けます。

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そして、中井先生の解説にあるように、
曲輪がほとんどなく、横堀・堀切を多用して、
武田方からの反撃を遮断することにのみ特化した塹壕的な。

このあたりは特殊な礫層で、高い断崖絶壁でも崩れないそう。
なので、土の城をつくるうえではかなり有利な地質なんですねぇ。
(敵味方両方に、だけど)

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ぐるっと伸びる横堀。

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エッジの効いた土橋。いいねこれ!

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しかし、すごい崖・・・次、高天神城行くことがあったら、
拠ってみたいですね・・って拠ってどうする(笑)

高天神城。

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中井先生が、「別城一郭」という表現をされていましたが、
元々は本丸のある東側のみで、武田が入ることで
井戸曲輪以西の尾根も城に取り込んだのではないか?と
いう見解を出されておられました。

確かに西の曲輪は、ぐるっと西側に濠が配されていて、
丸子城のような感じは受けますし、尾根を切断した堀切は
ダイナミック・・・である一方、東側はわりと単純な感じはしますもの。

本丸で土器?を確認する中井先生。
後ろで顔出しで遊んどる・・・という加藤先生とのdisりあいは
聞いてて楽しいです(笑)

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大河内政局捕らえらたといわれる石窟ですが、
岩盤の崩落を気に調査すると、その伝承通り遺構が
見つかったそうで。。意外と伝承馬鹿にできないよ?という話。

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結局、伝承が伝承のままなのは、証明ができないからであって、
嘘だ、間違っているというわけではないのですよね。

火のないところに煙は立たない・・・式の考え方で、
確かではないにしても、何かにシグナルかも?というようには
考えるようにしたいものですね。

西の曲輪の横堀。防御の意味だけでなく、
テリトリー意識の発露として、ここまでが城郭だいう
線引きでもあるかも、ということでおもしろい。

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尾根を遮断した堀切。

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(2) 徳川の城・武田の城

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てことで、徳川と武田の城@駿河・遠江の話。
というか、丸馬出の武田から徳川への系譜のお話、
といったほうがいいかもしれません。

常々、加藤先生はいわゆる丸馬出=武田ではないよ!
ということで、諏訪原城はじめ徳川が入った以降に、
大規模な丸馬出を建造していると比定される城も多いのです。

駿河田中城。外郭に4つ、内郭に2つの丸馬出が
あったわけですが、どうも徳川ではないか?と言われてると。
この様子は江戸時代の田中城の再現。

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駿河丸子城。大鑪(おおだたら)曲輪が丸馬出、
その他いくつか丸馬出、と言えなくもない箇所があります。

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大きすぎる・凝りすぎているという点から、
中井先生・加藤先生は天正十年以降、小牧長久手に
備えた徳川の防備という捉え方をされているようです。ふむ。

ただ、具体的な発掘などは行われていない、
ということですから、確定的とまではいえないようですなぁ。

にしても、横堀の途中あるいは終端に丸馬出がある
というのがちょっと丸馬出というのは、
形状は同じでもちょっと使い道が違うように思うんですよね。

同じ、横堀の途中にという意味で共通するのが
遠江犬居城。

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横堀の途中に丸馬出状の小さな曲輪が
確かに確認できます。

小長谷城。北側の曲輪は完全に破壊されてしまって
いるのですが、残存している部分に丸馬出が
重ねて配置されているのがわかります。

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破壊された部分ですが、こちらのblogによりますと、
昭和10年当時の「小長井城略圖」に
小学校となった北側の東側に弧状の堀が描かれているようです。

つまり、本曲輪の左右(南北)対称的に、
重ねた丸馬出が設置されてあったと推測できそうです。

そして、丸馬出といえば!の諏訪原城。

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諏訪原城は発掘調査がされているそうなのですが、
本曲輪では、武田期の焼けた遺構面と徳川期の遺構面が出てるとか。

そしてその焼けた武田期の面を整地して、徳川期に曲輪を
整備しているのですが、おもしろいことに徳川期の虎口土塁の下
からも武田期の遺構面が出ているのだそう!

じゃ、この土塁って徳川期とするならば、どこから
土を持ってきた?と考えると徳川期に大きく壕を掘っている
という風に考えるのが自然というわけです。

なるほど・・・諏訪原城の丸馬出は徳川というのは
可能性が高いことがよくわかります。

規模の比較。
高天神城の横堀と諏訪原城の横壕比較。

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同じく丸馬出、確実に武田と言える興国寺城の丸馬出と
徳川と推察される諏訪原城の丸馬出。

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確かに規模の大きさは一目瞭然ですよね・・・

いずれにしても、なんでもかんでも武田武田と言い張るよりも、
武田的なモノが伝わってることの方に価値を感じたい、
という思いがお話を聞いていて強まってきました。

武田から徳川に変遷していくなかで、丸馬出が
どう伝えられていくのか。形状は同じでも使われ方はどうか?
徳川時代に発展的に変貌していくのでは?などと
考えると、興味は尽きませんね。

また、近日加藤先生の丸馬出のお話を
ちょうど聞くことになっているので、その意味でも
1年半前のイベントですが、非常によい振り返りになりました。
(いい感じの言い訳)

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城フェス 2015・・・5!? 前編

さて、いよいよ最後。タイトルが紛らわしいですね、
2015ですよ!2015(笑)

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盛りだくさんの4時間オーバーの企画ですので、
(というのとズボラ根性もあって)二つに分けまする。

城ラマ・上田城。平山先生説とは異なって、
百間濠のある北東方向に天守相当の三階櫓がありますな。

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こちらはご存知、長篠城。
武田風に丸馬出が置かれている点が◎
長篠城を武田が改修した後ですね。

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こちらはある意味、武田の命運を決定付けた、
とも言える高天神城。

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城ラマおつくりの方が武田に関心が高い方なので
わりと武田にゆかりのあるお城が多いんですね。
ありがたや、ありがたや・・・

というわけで、城フェス始まりです。
かみゆ代表の滝沢氏に、中井均・加藤理文両先生、
そして城メグリスト・萩原さちこさんのいつもの(?)メンバー。

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(1)韮山城・天ヶ岳レポート
(2)中井先生・安土以前の石垣の城
(3)フォトコンテスト

の前半三本をまず。あまりに前のことなので、
記録とってる中から、個人的に気になること残しておきたい
という点に絞らざるを得ないのはご承知置き頂きたく…

(1)韮山城・天ヶ岳レポート

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韮山城を目の前に・・・山城は高ければいいってもんではない!
っていう話。領域を支配する範囲を見渡しうる一番低い山でいい
ということ、考えてみればそれが一番効率的ですわな。

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一国を支配する戦国大名レベルになると、徒歩1時間程度
国衆クラスであれば徒歩30分程度の比高と考えるのがよいと…
というと、韮山城であればこの程度が妥当と。

そこに豊臣軍が攻め込んでくるという事態になって、
初めてより高い裏山(天ヶ岳)を取り込む必要が出てきたのではと。

必要以上に高いと防御や領域監視はいいのでしょうけど、
やはり行き来が大変だったり、水の問題があったりと
いいことばかりではないですからね。必要に応じた適切なバランスで
城が築かれる対象になる山が決まっているのは、ナットクです。

10分~15分と縄張図を見ながら、検討する先生方。

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やっぱり、最低限縄張図をしっかり見ながら歩くってのは大事。
しかし、縄張り図を持っていっても、実質その場ではじめて見る
だったり、同行する方のコピーを当てにしているというのが
今までだったな・・と反省。

まぁ、数を行こうとするとどうしてもそうなるわけですけど、
事前に縄張図を見ながらある程度予習して、
どういう点を見たいのか?をハッキリさせて見に行きたいもんですな。

加藤先生がおっしゃっている看板をデジカメで撮って、
それを見ながら遺構を歩くっていうのは、わたしもよくやる
一番お手軽な方法ですよね。

とりあえず主曲輪に行ってみて、それから降っていくと
判りよいというのもなるほどなるほど。主曲輪に解説があったり
っていうことも多いですよね。

この三の丸権現曲輪に差し掛かる枡形虎口を目の前にして…

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何かを確認しに、どわぁぁぁぁと確認しに行かれる中井先生(笑)
それを見守る城メグさん。

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二の丸切岸。なんかすごいらしい。
やっぱり行かんとあかんよね。

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ここからより中枢部に入るという、仕切り的な機能が変わる
という意味もあったんじゃないかと。なるほどね・・・
躑躅が崎の表と裏(裏が少し高くなっている)を思い出します。

せせり立つなぁ・・・

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にこやかに登るおふたり。

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城山の上から景色を見て、街道や川、味方の城・敵の城の位置
などの立地条件を本曲輪から見るという楽しみ。

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これもある意味、予習が欠かせないなーと思いました。
というのも、本曲輪からこっち方面に何が見えるって解説が
仮にあったにせよ、街道や他の城がとかは充分にないことが多い・・・

だからこそ、自分の問題意識にしたがって、周りに何があるのか?
を調べていったほうが間違いなくいいんでしょうね。

左から右へ、韮山城籠城守備兵には山中城へ向かう豊臣の大軍が
見えたでしょうね・・なんて会話をしながらの城攻め、
そりゃぁ、楽しいですよねぃ。

豊臣側に土塁が盛られているってという話。
必要のないところには盛らないってことなんですけども…

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これは駿河丸子城で感じたことですね。
今川時代と武田時代では、仮想的の方向が違っていて、
結果的に防備の向きが違うんですよね。

もちろん土木量の違いもあるわけですが、
決して今川時代のほうには武田時代の大規模な
土塁や堀はないわけでして。

焔硝蔵があったのでは?とも目されている塩蔵。
土塁で万が一の爆発にも耐えられる構造。

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天ヶ岳。背後にあるより高い比高の城。

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こんな感じで本丸見下ろせちゃうんだなー。

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ふむふむ。知り合いの山城好きな人はほとんど
行ってられるのかもしれないですけど、魅力はよくわかりますね。

最初からココに作っておけばよかった?のかもだけど、
最初は必要がなく、豊臣軍が迫って初めてという流れも興味深い。

(2)中井先生・安土以前の石垣の城

ひたすら写真だけを眺めるだけの講演でしたが、
それでも非常におもしろい内容でした。(改めて聴き直しても)

長年、安土城が最初の石垣の城といわれ、いや観音寺城が先
いやいや信長だってその前にも・・というところですが、
もっと広範囲、16世紀前半(1500年代前半)あたりから
石垣の城が見られまっせという話ですね。

■松本平周辺■
ひとつの地域が、松本平周辺。
虚空蔵山城、一説に滋野一族の会田氏の城とも。

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鏡石のような大き目の石に、顎出といわれる
少し突き出たような構造をもってます。

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こちらは林小城、守護小笠原氏の城。

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ちょっと調べがつかないのだけど・・・
はぎはら城なる城。段築して二段構造にしてます。

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山家(やまべ)城。ここも4m程度の石垣・・・
というか、石壁。ここまでで共通なのはいずれもほぼ垂直で、
いわゆる切岸の垂直さをより追求した結果であり、
後世の石垣の上に構造物を形成するものではないという点。

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これって、他の周辺地域には伝わらないんですね・・
特にこのあたりは武田が制圧していくわけで、
もし武田が価値を見出していたとするならば、吸収していてもいいはず。

しかし、勝頼期末期の要害山城・熊城修築や
おそらく同時期であろう躑躅が崎館の土塁増強で土留めとして
石積みは使われていますが、切岸の代用としての用例は
武田領国にはないと思われますね・・・

もう一度確認は要りますが、中井先生のいうような、
切岸を重要視する考え方は、武田にはなかったのかもしれません。

■近江■

続いては近江。まずは観音寺城。

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矢穴がある!ということは、見れば判るんですが、
石を割るという発想が武士ではなく、寺の発想というご指摘。

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五輪塔や石仏をつくる過程で、石材加工技術が蓄積され、
どうもそのお寺の関係者が技術指導してそうだということなんだとか。
一方、20年後の安土城には矢穴はない・・・
こういうところから、石材加工の伝播経路を辿るのも楽しそうです。

麓の伝御屋形。守護六角氏の屋形跡とされています。
普段は鬱蒼としているそうで・・・??

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隅石。近世の算木積ではない未熟さが興味をそそります。

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文献によると、1556年。ちょうど信玄公が信濃攻略に邁進すべく
甲相駿三国同盟を結んだあたりでしょうか。

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この辺の矢穴はすごいな、二回も石を割ってますぞ。
同じく六角氏の三雲城。

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こちらも算木積が未熟。加工はできても、
積み方ってのは、試行錯誤だったんでしょうかねぇ。

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小谷城山王丸石垣。この辺が浅井のよう。

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信長の野望をやってると、近江は南北別になってましたが、
石垣技術も南近江とは違い、同時代比較すると、
未熟なんですね・・こういう比較と気づきはなかなか素人だけ
ではできず、ありがたいご指摘です。

チョット飛んで、播磨へ。

■播磨~安芸~九州■

赤松氏の置塩城。垂直に土塁の代替としての石垣
という意味で、先ほどの松本平周辺との共通性を感じますね。

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こちらは・・・行きたいと思いながらずっと
行っていないままの吉田郡山城。

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どうも総石垣であったようですが、島原の乱後に
大規模な城破があったよう。

佐賀・勝尾城。段築して二段に築かれた石垣。
ここも建物を建てるのではなく、バリケードとしての城壁
としての役割なんでしょうかね。

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加工せずに石を使ってどう、城に生かすか?
を考えたとき、地域性はあまりなくて互いに繋がりはなくとも、
同じような結論に達するのかもしれません。
扁平な石を選んで、というのも松本と共通してるしね。

これはわたしも行った、長岩城の登り石垣。

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石積櫓。

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自分がオフ会に参加したときは、ずいぶんと珍しい積み方、
石の選び方だと思ったものですが、実は同年代と目される石垣遺構で
比較すると、割と共通しているのかも。

城ではないのですが、周防大内氏の凌雲寺。
ここの石塁をご紹介いただきました。観音寺城の門にソックリ!

P1100578

垂直な感じ。お寺ですから何も理由がなければ、
塀のように垂直に立てますよね。それが、何らかの過程で、
山城の防備に使えるやん!と築きがあったのでしょうか!?

ということで、1年半後に見返しても(爆)
ちゃんと自分にとってのメモとして、残しとくべきだー!
と思える貴重なお話でしたっ。

さて、後半に続く。

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倭城でないと!~平成の役~ 201【5】

さて、実質的に残っている最後の2015年ネタ。
えーっと・・・・2016年も10月が終わる・・・
ってことは、8割方終わっている・・・なのに2015年・・・
# 武田関連講演は2016年分とまとめようかと思っています

あまりの2016年記事の溜まり様に、茫然自失・・・
ですが、こつこつ記憶を手繰り寄せて書いていくしかありません。
やっぱり、こうなっても記録に残したいって気持ちが強いのでね。

ということで、2015年の6月末。ちょうど2015年城フェスの前日に
(2016年の城フェス@可児も終わったよなぁ・・・汗)
倭城のお話をば、カルカルにて拝聴の巻であります。

なんと、よく知るお二人がプレゼンされるというわけでね・・・
お一人はもうお世話によくなっているサイガさん(新津竜一氏)、
そして、こちらももうお世話になりまくりの夕里さん。

夕里さんとはじめてお会いしたのは、2012年岡山にて。

本当にあのときに、しみじみとお城が好きだったけど、
こうしてお城の話ができるなんて・・・と誰にも城好きを明かさずに
来たことを話してられたのが遠い記憶のように思えます。

そして、倭城を知り、あっという間にその魅力に魅せられて
韓国に住んでしまうという・・・割とわたしも行動力のあるほうだと
それなりには自負していましたが、度肝を抜かれましたよね。

そんな夕里さんがどうされてこられたのかを知るいい機会でした。
司会はカルカルといえば・・のテリー植田さんと
城郭研究家の本岡勇一さん。

プレゼン前半は夕里さん、後半は、同じく城郭研究されている
堀口健弐氏とサイガさん。かなり関西色の強い面々でございますな。

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■チョアヨ、倭城(好きです、倭城):夕里さん

姫路城的な滴水瓦。いや、再建されたとはいえ、
むしろこっちが本場だから姫路城の元になった・・・か?

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そもそも倭城とは?という話。会場の人は大体知ってる
ような気はしますけども、まぁ念のためって感じかな。

名高い西生浦(ソセンポ)城の登り石垣。
え?なんすかこれ?なテリーさんのコメントがおもしろいですね(笑)

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こちらを見なかったら、倭城にハマってなかったであろう、
と夕里さんに言わしめた登り石垣。ふむ、これは確かにすごい。

機張(キジャン)城本丸から。

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そんな夕里さん、一度見てこれはすごいと思ったら、
毎日見たい、毎日見るにはどうしたらいいか・・・住めばいい!
とド直球なお答え(笑)

仲間内でも「えええええ」なことですが、こうして
イベントで話されてもそのすごみが全く損なわれないインパクト。

ワーホリかぁ。もはやもうわたしには関係ないですが、
知ってればどこかに行ってたかなぁ・・・

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今しかない
文字しかないスライドなのに、なんですかこの衝撃(笑)

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わたしも割と好きだぁぁぁぁといえるもの、たくさんありますが
ここまで割り切って好きなもののために、
生活を変えられるパワーなかった…
お隣の甲府に住むのもなかなかだもんね、アタクシ。

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なんといいますか、石橋を叩いて叩き割りまではしないけど
ヒビ行かせる位はやりかねないわたしには、
ちょっと発想が・・・改めて、すごい(語彙力のなさ)

ということで、ワーホリ中韓国で倭城を案内する夕里さん。
知ってる人が好きで活躍している様子を拝見するのは
なんともうれしいものですよねぇ。

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韓国人でも比較的に日本に関心のある皆さん方も
多く参加されているみたいで。ほうほう。

ということで、一度も倭城に行かれたことのない(このときまでは?)
鎖国を続ける本岡さんへ開国を迫る黒船プレゼン・・・
列車とバスで行く、プサン2泊3日の旅。

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韓国の電車・バス。SuicaみたいなICカードがあるみたいで
バスは割とハングル読めなくても、割と何とかなるみたい。

電車は漢字や日本語のアナウンスもあったりするみたいだけど
ちょっと近くまでは行けないようですの。

最初は蔚山(ウルサン)城。
ただの公園になってるのですが、登り石垣。
当たり前のように佇むけども。

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ダイナミック。やっぱり日本の城だよなぁ。
しかも、このような石垣が海から見え、
近づく者に威圧感があったんでしょうなぁ。

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晩ご飯は、ティッコギ@プサン。
キムチも焼くと美味しいの!?

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翌日は西生浦(ソセンポ)城。知ってはいるけども
いいねぇ、いいねぇ。知らないと日本の城跡。

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こんな住めそうな石垣の上にお家があるあるトコも(笑)

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倭城に住むには、ここを攻略するしかない!?(笑)

機張(キジャン)に移動してかにかに。
かにが有名なんだそう。かに&かにチャーハン。
土塁っぽい?(笑)

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その後は、機張城。ここも登り石垣。

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天守台から。誰かだかわかる人にはわかる(笑)

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定番スポットらしい。

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サイガさんのお写真で横から。
補強のための追加石垣のようでっせ。

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続いて、機張邑城。城壁で囲んだある意味
中国の影響を受けた朝鮮の城。
日本だと同じく中国の影響が強いグスクに近いかな?

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日本の石垣にはあまりない、カーブするところが
特徴ですかねぇ。ただ朝鮮式の城の石垣でも、
こんな鏡石のようなデッカイ石も使われているんだぁ。

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最後に、梁山(ヤンサン)城。以前少しだけ、
韓国の仕事に関わったときの担当者が梁(ヤン)さんだったので
ププッとしたのを思い出しましたよ(笑)

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この石垣いいよねぇ。麓の居館跡の石垣だそう。

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この辺、お墓多いらしいですね。
まぁ、夕里さん同様わたしもあまり気にしませんけど。

最後の韓国のお食事、デジクッパ。
とんこつにそうめん?みたいな感じだとか???

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■倭城の構造:堀口健弐氏

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最初にオッと思ったのは、いわゆる倭城が最初からできたわけでなく、
初期段階では、朝鮮の城を日本的に改修するというのも
あったんだということですね。邑城の中に日本的な石垣が残るところ。

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それでも、軍事的な必要性から、橋頭堡として
あるべき姿に進化していく、それがいわゆる倭城として知られる
日本の城の姿なんですね。ふむふむ。

西生浦(ソセンポ)城の縄張と日本時代の測量図。

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P1100374

これ、やっぱり朝鮮の城はこんなところにできないわなぁと。
上陸地点としての拠点にするには、こういう位置に
城が必要なのがすごいわかるよね。ふむ。

一方朝鮮式の城にも、邑城と違った防衛意識のある城も。
盆山城の例。これ、どーみてもグスクの石垣ですよねぇ。
日本と違って、多段的に防備はなさそう。

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こちらは丹波・周山城。朝鮮出兵以前の織豊城郭に
見られる登り石垣。この頃から登り石垣が万里長城のような、
線で防御するものではなく、空間を囲い込むパーツとして、
意識されていたということができそうな例。

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これが朝鮮出兵という今までにない戦争のなかで、
橋頭堡形成に使える技術として発展したのでしょうな。

あと特に気になったのは、順天(スンチョン)城。

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現在は積み直されているそうですが、
少し前はこんな様子で天守台が、
当時の石垣が崩れながらも残存していたようで。

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天守台を少し引いて。左奥から手前に進み、
右に折れて、天守台下に到達する縄張りになっています。

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この上に建っていた天守が「征倭紀功図巻」という
史料に残されているようで・・・まさにこれ、層塔型天守。

P1100398

絵図、しかも外国の・・・だからというのはあって、
正確さはちょっとアレかもしれませんが、
天守の中層が膨れている南蛮造なのもポイント。

同じく城門。形状こそどこか中華風な感じがしますけど、
折れたところに櫓門を配するあたり、日本式の様子が
よく表現されていますな。この絵図で現地確認するのもいいか?

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南海城にも、天守の絵図が。ほんとに飾りじゃなく、
実戦用のパーツとして、見られていたからこそ
天守までキッチリつくられていたんだろうな。

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天守アップ。こちらは望楼型かもしれませんぞ?

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■地形を見れば倭城がわかる:サイガさん

サイガさんの地形論。よくよくお城に行く際にも
ご一緒させていただいて、お話いただいていますが、
こちらでもよくわかる築城の必然性についてお話いただきました。

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釜山城。母城と子城があって、サイガさんは
一体の城として捉えてられて、当時の海岸線に対して
拠点を確保するとともに、より高い山から攻め立てられることを
想定して、その手前の山に城を構えたというわけですね。

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梁山城。これも興味深い・・・
八千の兵を千五百で黒田官兵衛が撃退した城。

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梁山城周辺の航空写真を見ると・・・当時は、
西側には大河、東にも川があって、
北側に山手が延びているものの、梁山城周辺は
低地でおそらく湿地帯だったのではないかとのこと。

P1100428

ただオレンジの線の引いてあるところが微高地になっていて
梁山城を攻めるにはこのルートしかないだろうと想定。
実際に少し高くなっているのが、今でもわかるみたいです。

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ということで、改めて梁山城の縄張りを見ると、
このオレンジのラインから攻められることを想定した縄張りに。

P1100430

最後は、泗川城。島津義弘公の守った城ですな。

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ここでも地形から南北の低地に挟まれた台地の東から
攻め寄せることを想定した縄張りになってると。

P1100440

自然地形をうまく利用しながら、台地に通じる点に
土塁と濠で防御性能を向上させると・・・
実際の写真(2005年前後)を見ても、
高低差があるのがわかりやすいっ・・・

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というわけで、相変わらず地形でわかるお城の話には
1年半経って改めて確認してもおもしろいですなぁ・・・・

ネタを寝かしすぎて、新たに講演を聞いたような感じになりましたが、
基本的な倭城くらいは行ってもいいかなと改めて思いました。
今年は武田と真田丸で忙しかったし、2019年は甲府関連で
忙しくなると思うので、来年か再来年までには・・・

翌日は、城フェスのお話。くれぐれも2015年のお話なんで
お間違えのないように・・(苦笑)

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